前田雄吉氏が、盟友 大塚耕作氏へを送った
追悼文を掲載させていただきます

「雄吉ちゃん、大丈夫か!」ニュースを見て驚いた、我が友・大塚耕平が、誰よりも早く携帯にメールを送ってきてくれた。
前田雄吉氏は、1960年1月8日生まれ、愛知県出身の政治家。
愛知県立五条高校を経て、慶應義塾大学法学部を卒業。
その後、松下政経塾で学び、ロータリー財団の支援によりオーストラリア国立大学へ留学。
若い頃から外交・安全保障分野に強い関心を持ち、「外交の分野で自らを
生かす政治家」を志して活動を重ねてきました。
2000年の衆議院議員選挙で初当選し、以後3期10年にわたり国政に携わりました。
衆議院では決算行政監視委員会理事、安全保障委員会委員などを務め
金融行政、外交安全保障、障害者施策、介助犬育成など幅広いテーマに取り組んだ。著書には『尾張清須城主 松平忠吉』
『次代を担うネットワークビジネス』『ビジネスリーダーの条件』などがあります。
地域に根ざした政治活動を続けながら、歴史研究や社会貢献活動にも関心を広げた前田さんの歩みは
今なお多くの人の記憶に残されています。
日本新党の先輩、官僚政治と日本の闇と戦ってきた石井紘基衆議院議員(2002年10月25日没)の葬儀・告別式は、2002年11月1日に東京都千代田区の聖イグナチオ教会で執り行われました。また、同月7日には東京都内で民主党主催の「お別れの会」がしめやかに行われた。その会に私は代議士2年目でありながら参列できなかった。葬儀の日に街頭演説中に襲撃されたシンマイ代議士が見た、はじめての黒い社会であった。これについてはまた別の機会に報告したい。
11月1日7時のNHKニュースはけたたましく伝える。「前田雄吉衆議院員、襲撃されました。命には別状ない模様です」と。街頭演説中に酒をたらふく飲まされた、茶髪の高校生がバイクで、愛知県犬山市で街頭演説中の私にバイクで「殺してやるぞ」と突っ込んできた。
「雄吉ちゃん、大丈夫か!」ニュースを見て驚いた、我が友・大塚耕平が、最初にショートメールを送ってきた。奥様マリコさんと一緒に朝食のテーブルを囲んでテレビを見ていたそうだ。
大塚夫婦と、夫婦で仲が良かったので、家内に携帯でマリコさんが「旦那,生きてる!」「とりあえず、生きてる」と答えた。どんなやりとりをしてるんだと後で聞いた。
さぁ、真面目に追悼文を書きたい。友人である大塚耕平君が、あまりにも早く、急ぎ足でこの世を去ってしまった。そのあまりに突然の訃報に接し、私は今も、深い喪失感と信じられないという思いの狭間で立ち尽くしている。語り合いたいこと、共に振り返りたい思い出は、まだ山のようにあった。胸の奥から湧き上がる切なさと、彼という稀代の政治家を失った我が国、そして故郷・名古屋の大きな損失を思うと、ただただ痛恨の極みと言うほかはない。
彼と私の歩みは、今から四半世紀前、2001年7月の参議院議員選挙の夏に始まった。当時、愛知6区の現職衆議院議員として国政の場にいた私は、初めて選挙に立候補した彼と出会った。それが、すべてのはじまりだった。
民主党愛知県連から愛知6区の皆様へのご挨拶周り、俗に我々は言いますが「引き回し」を依頼された。私が確か3日間担当し、家内が2日奥さんマリコさんを引き回しました。
「さぁ、雄吉さん、お願いします」と言う大塚耕平の顔にどこか見を覚えがありました。どこだろうと思ったら、出身の松下政経塾の仲間たちとの集いの場でした。「どっかであったと思ったら、政経塾じゃないの」と私。めちゃくちゃ近い感覚に襲われました。
大塚耕平は、松下政経塾一期上の4回生の合格者だったんです。どうも毎年松下政経塾の最終合格者はタイプが似てるんですね。必ず経済産業省、朝日新聞、日銀にも合格。大塚耕平は、政経塾に合格しながら来ずに日銀に行ったのでした。
その日本銀行という中央銀行のキャリアを投げ打ち、退路を断って政治の世界へ飛び込んできたばかりの彼は、みずみずしい情熱と、それまでに培った緻密な知性を同時に放っていた。一過性のブームや感情論で動く政治ではなく、確かな政策論理とデータに基づいた、国民のための政治を行いたい——。彼の語る理想は青臭いものではなく、裏付けのある強い説得力を持っていた。私はその志に深く共鳴し、彼が政治家としての第一歩を踏み出したまさにその瞬間から、私たちは同志となり、何でも腹を割って話せる友人となった。政治家・大塚耕平のスタートを一番近くで見守り、共に駆け抜けたあの夏の熱さは、今も私の記憶に鮮烈に焼き付いている。
そして、参議院選挙の最終日、土曜日、私が大塚耕平を名古屋の名物モーニングで人が集まる喫茶店のはしごから帰ってきた。10時30分なのに、まだマリコさんと家内は事務所で大声で笑ってる。愛知県西春駅前の前田事務所。すっかり旦那たちの悪口を言い合って盛り上がっていた。「お前たち、まだ選挙終わってないぞ。早く事務所出て行け」と言って私が家内たちを追い出した。その横で「雄吉さん、そんなに怒らなくてもいいよ。俺たち、旦那の普段が悪いから」なんてゲラゲラ笑っている。大塚耕平の笑顔が忘れられない。
1️⃣政治家として
国会に席を並べてからの彼は、まさに私の見込んだ通りの、いや、それ以上の大いなる活躍を見せてくれた。早稲田大学大学院でさらに学業を修め、経済のスペシャリストとして国会論戦に立つ姿は実に頼もしかった。その後、内閣府副大臣や厚生労働副大臣といった政府の要職を歴任した際も、彼は決して浮足立つことがなかった。役所の官僚たちとも対等以上に渡り合い、国家の行く末を見据えた現実的な政策を一つひとつ形にしていく。その姿の根底にあったものこそ、誰もが認める彼の最大の資質、すなわち卓越した「政治的バランス感覚」であった。
政治の世界では、しばしば声の大きい極端な意見が注目を集め、世論を扇動することがある。しかし、大塚君はそうした風潮に決して流されなかった。理想を高く掲げながらも、地に足をつけ、現実社会で本当に機能する解決策は何かを常に冷徹に見極める。この「現実主義と理想のバランス」を高い次元で維持できる政治家は、我が国の憲政史を振り返っても、そう多くはない。彼と酒を酌み交わしながら政治の未来を語り合うとき、私はいつも彼のその揺るぎないバランス感覚に感嘆し、同時に深い信頼を寄せていた。
彼のその真骨頂が、遺憾なく、そして最も過酷な形で発揮されたのが、2017年から翌年にかけての、あの激動の野党再編期であった。
2017年秋、野党第1党であった民進党は分裂の危機に瀕し、まさに漂流していた。誰もがその舵取りを躊躇し、党の存続すら危ぶまれる混迷の極みにあって、大塚君は民進党代表という重責を引き受けた。さらに翌年には、国民民主党の結党へと導き、共同代表を務めた。その後も代表代行として、常に党の要職にあって荒波を乗り越え続けた。
対立と分断が先鋭化し、感情的な言葉が飛び交う政局の最前線。そのなかにあって、彼がどれほどの孤高の苦悩を抱え、どれほどの重圧と戦っていたか、私は友人として一番近くで見守っていた。右か左か、敵か味方かという二元論に陥りがちな状況のなかで、彼は常に「良識ある現実的な選択肢」を世に提示し続けようと、泥をかぶることを厭わなかった。異なる主張を持つ者たちの間に立ち、粘り強く耳を傾け、理性の糸を繋ぎ止めて合意を形成していく。あの困難な時代に、日本の野党政治が崩壊の淵で踏みとどまり、建設的な議論の場を維持できたのは、偏に大塚君の持つ類稀なるバランス感覚と、国家・国民への強い責任感があったからに他ならない。
しかし、政治の因果とは時に残酷なものである。2024年、彼が名古屋市長選挙への立候補を決意したとき、私たち二人の立場は複雑に交錯することとなった。
まだ割と早い時期、議員会館で彼と会ったとき、大塚君は私にその胸の中を打ち明けてくれた。だが、私には立場があった。日本新党時代からの兄貴分である河村たかし、そして共に歩む地域政党「減税日本」の仲間である広沢一郎を、私はどうしても支援しなければならなかったのである。
大塚君の周りには、大多数の市議会議員、あらゆる国会議員が集まり、こぞって彼の支援に回っていた。その盤石な陣形を目の当たりにしながら、私は内心、「大塚を敵に回すなんて、本当にやりにくいなぁ。でも、これだけ多くの有力な支援者に囲まれているんだ、きっと彼が勝ち抜くであろう」とも思っていた。
そんな私の複雑な胸中を、彼はすべて察していたのだろう。彼の議員会館の部屋で、大塚君は「雄吉ちゃん、しょうがないじゃん。頑張ろう。お互いに」と、いつもの明るい表情を見せてくれた。国政の重責を担い、これから大きな戦いに挑まんとする彼に、少しの心の余裕があったのかもしれない。いや、それ以上に、あれは彼の持ち前の明るさと、相手の立場を思いやる優しさだったのだと、今になって強く思う。結果は落選という厳しいものとなったが、彼の掲げた政策と名古屋への愛は、多くの市民の心に深く刻まれた。
そして話は、愛知6区での衆院選出馬へと繋がっていく。愛知6区といえば、私がかつて現職代議士として議席を預かり、有権者の皆様と固い絆を結んできた、文字通り「心の故郷」と言える選挙区である。その場所から大塚君が立つと決まったとき、私の心には正直なところ、戸惑いがあった。名古屋市長選に続き、今度はこの愛知6区で、またしても彼と反対側に分かれ、今度は直接対決をすることになるのか。「嫌だなぁ、やりたくないなぁ」という気持ちが、正直なところ強く働いた。政治のスタートを共にした大好きな友人だからこそ、刃を交えることの辛さが身に染みていたのだ。
だが、それもすべては、彼が元気で戦っていればこその葛藤だった。体調不良を理由に立候補を辞退せざるを得なくなったと聞いたとき、彼の胸中がどれほどの無念さで満ちていたか、それを思うと今も胸が締め付けられる。最期まで「政治家・大塚耕平」として命を燃やし尽くし、国と地域のために走り抜けようとした人生だった。体調の異変に気づきながらも、ギリギリまで前を向いて歩みを止めなかったのは、彼が持つ強靭な意志の表れであり、同時に友人としては「もっと早く無理を止めていれば」という、消えない悔恨となって私の胸に突き刺さっている。
2️⃣ 「経済学者・政策通」大塚耕平
大塚耕平の「経済学者・政策通」としての真骨頂がより鮮明に伝わる、実際の国会論戦(異次元緩和への警鐘、超低金利による国民負担、財政規律とマクロ経済)から具体的な発言を3つ取り上げたい。
大塚耕平の経済学者、そして日本銀行出身の政治家としてのバックボーンは、まさに私たちが学生時代に叩き込まれたポール・サミュエルソン的な「近代経済学(新古典派総合)」にあります。それは、市場の効率性を大前提としつつも、経済の歪みや危機に対しては、財政・金融政策による政府の適切な介入(マクロ経済管理)を重視する極めてオーソドックスで現実的な視点です。感情論やイデオロギーが先行しがちな国会審議において、彼は常にこの精緻な経済理論と日銀で培った実務知見を武器に、時の政府・日銀に対して国民生活を注視し最前線の論戦を展開し続けました。
私が取り上げたい第一の国会論戦は、長引くデフレ脱却に向けた異次元の金融緩和に対しては、次のように何が間違ってるか、処方箋としての新しい資本主義を掲げました。
「バブルが崩壊して、その後、我が国 はもう官民挙げて三つの過剰を解消するといって 大合唱になったわけでね。御記憶をちょっとたどっていただきたいんです。三つの過剰というの は、設備と債務と雇用が過剰だといって、もうあ の九○年代はずっとそれをやったわけです。二〇〇〇年代になってもそれ続きました。・・・
やっぱりこれが今日振り返ってみると大失敗のもう一つの理由。金利が低すぎることに加えて・・生産性は原因ではなくて、結果であると、こういう風に発想を変えていくことが新しい資本主義のポイントだと思います。」(2022年11月1日 参議院財政金融委員会)
大塚の持論です。金利がゼロ近辺に張り付く流動性の罠の状況下では、量的緩和だけで総需要を喚起することには限界がある。必要なのは、潜在成長率を引き上げる構造改革と、効果的な財政支出の組み合わせ、すなわちポリシー・ミックスだというものでした。
これは、金融政策一辺倒に頼るアベノミクスに対し、正統派経済学の知見から軌道修正を迫る極めて冷静な指摘でした。
また、第2の注目すべき国会論線は、長期にわたる超低金利政策がもたらす副作用、とりわけ家計へのしわ寄せに対しても、数字に基づいた鋭い追及を行っています。
過去30年近くにわたる超低金利政策の結果、
「試算として、九三年から二〇一四年までの間に、これは黒田総裁がお答えになって、その後、安倍総理も引用されておられるんですが、累計で、『逸失金利収入』つまり、本来普通の金利が掛かっていたら個人、家計や企業がどのぐらいの金利収入を得ていたかということなんですね」
本来であれば家計や企業が預貯金などから得られるはずだったは、累積で数百兆円規模に上るのではないか。このストック効果による分配の歪みをどう認識しているのかと問いただす。(2024年3月21日 参議院財政金融委員会)
この質問に対し、植田和男日銀総裁が「(試算上)総額600兆円に上る」と認めた答弁を引き出したことは、マクロ経済政策が国民生活に与えた影の部分を白日の下に晒した名論戦として、今なお高く評価されています。
さらに最後に第3の国会論戦では、中央銀行の独立性と財政規律の重要性についても、日銀出身者としての強い危機感を持って警鐘を鳴らし続けました。
「衆議院での御答弁で、税収増は既に使っ ていますと、だから減税をやれば国債発行が必要 になりますと言っておられるわけですよね。ここ で、減税をやるには財源がありませんとは言って おられないので、つまり、国債も財源だということをここで認めているわけですよね。」(2023年11月9日 参議院財政金融委員会)
日銀が国債を大量に買い支えることで、事実上の財政ファイナンス(財政赤字の穴埋め)になっていないか。出口戦略を見据えた規律ある財政運営が必要だ。これも大塚の持論だった。
現代経済学が「格差の拡大」や「危機の常態化」という新たな難題に直面するなか、彼のスタンスは一貫して「データと理論に基づく現実主義」でした。理想を掲げながらも、数式とファクトを重んじる。この理論と実務の最高のバランスを体現した大塚耕平の国会質問議事録は、日本のマクロ経済政策が迷路に迷い込んだとき、いつでも立ち返るべき極めて貴重な座標軸(道標)として、後世に大きな遺産を残したと言えます。
3️⃣お別れ
大塚耕平、君と2001年の夏に出会ってから、私たちは本当に多くの景色を共に見てきたね。時には同じ方向を向き、時にはそれぞれの立場から、お互いの背中を見つめ合ってきた。君はいつだって、真面目で、誠実で、誰よりもバランスの取れた素晴らしい政治家だった。そして私にとっては、いかなる時も変わらぬ信頼を寄せ合えた、生涯のかけがえのない友人だった。
君が目指した、良識と現実主義に基づく政治の灯火を、私たちは決して絶やすことはない。政治のスタートの地で君と出会い、同志として、友人として共に歩むことができた日々は、私の人生の最大の誇りだ。
大塚耕平、本当にお疲れ様でした。激務と激動の連続だったその人生から、今はどうか解放されて、安らかに眠ってください。
心からの感謝と、尽きぬ敬意を込めて。ありがとう、大塚耕平。さようなら。
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