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村山富市元首相、101歳で逝く 自社さ連立と歴史的反省の足跡 

日本政界の重鎮、村山富市元首相が17日午前11時28分、老衰により大分市内の病院で息を引き取った。101歳の高齢だった。家族による密かな葬儀の後、後日お別れの会が予定されている。戦後政治の激動期を駆け抜け、連立政権の橋渡し役として知られた彼の死去は、国内外に静かな反響を呼んでいる。

生い立ちと政治への道

1924年3月、大分市に11人兄弟の末っ子として生まれた村山氏。幼少期に上京するも、戦時中に召集され、熊本で終戦を迎えた。
戦後、明治大学専門部政治経済科を修了し、地元に戻って労働運動に身を投じる。日本社会党に入党後、大分市議・県議を歴任。1972年の衆院選で初当選し、2000年の引退まで8期にわたり国政を担った。穏やかな人柄から「トンちゃん」の愛称で親しまれ、草の根の支持を築いた。

首相就任と政策転換の時代

1993年、社会党委員長に就任した村山氏は、非自民の細川連立から離脱するなど独自の道を歩む。政局の混乱が頂点に達した1994年6月、自民党と新党さきがけとの異例の連立で第81代首相に選出された。旧社会党出身者としては、戦後初の快挙だ。

在任中(1994~96年)、党の伝統を覆す大胆な改革を断行。自衛隊の合憲性を認め、日米安保の継続を宣言した。また、1995年8月15日の戦後50年談話では、過去のアジア侵略を痛感し、心からの謝罪を表明。この「村山談話」は、今日も日本外交の指針として引用される。一方で、阪神淡路大震災の対応遅れや地下鉄サリン事件の発生は、危機管理の課題を浮き彫りにした。96年1月、橋本龍太郎氏にバトンを渡し退陣した。

晩年と遺産

政界引退後、社民党初代党首を務めたが、党勢の衰退に直面。元慰安婦支援のためのアジア平和国民基金理事長として、和解の道を模索した。2013年には日中友好を訴える訪中も果たす。生涯を通じて「人に優しい政治」を信条とし、被爆者支援や水俣病対策に尽力した。
村山氏の逝去は、戦後民主主義の象徴として、後進に深い教訓を残す。地元大分では、静かな哀悼の声が広がっている。

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