注目の記事 PICK UP!

【自由の命運 国家、社会、そして狭い回廊】第1章 歴史はどのように終わるのか

支配の遍歴

1990年代のラゴスでは、電気や水道のない生活環境に加え、犯罪が蔓延し、道端には死体が転がるような状況が続いていました。
さらに人々を蝕んでいたのは、明日自分が襲われるかもしれないという恐怖や不安、不確実性でした。
これらは、実際の暴力以上に人々を支配し、自由を奪う要因となります。

政治哲学者フィリップ・ペティットは、暴力や虐待の脅威が実際の暴力と同じくらい深刻な害を及ぼすと指摘しています。
彼は「非支配」(支配、恐怖、不安からの自由)を、充実した人生を支える基本原則とし、本書も自由を「支配のない状態」と定義しています。
支配を受けた人は自由な選択ができず、その結果、本当の意味での自由が損なわれるからです。

自由を実現するためには、単に何をするかを選ぶ自由だけでなく、その自由を行使する能力も必要です。
この能力が妨げられるのは、個人や組織が強制や脅迫、社会的関係を通じて他者を従属させる力を持っている場合や、暴力や慣習が不均衡な力関係を生み出し、紛争解決の手段として用いられる場合です。

自由が栄えるためには、こうした支配や脅威を根絶し、人々が自らの意思で行動できる環境を整えることが求められます。

闘争とリヴァイアサン

人類は誕生以来、不安と支配の中で生きてきました。
農業と定住生活が始まった1万年前以降も、歴史の大半で人々は「国家なき社会」に暮らし、その生活は過酷なものでした。
狩猟採集社会やパシュトゥーンなどの事例から、戦争や暴力が頻発し、多くの人が予測不能な暴力と恐怖の中で生きていたことが、考古学や人類学の研究で明らかにされています。

キャロル・エンバーは、狩猟採集社会の多くで戦争が恒常的に起きており、「平和な未開人」という従来のイメージを覆しました。
スティーブン・ピンカーの研究によると、こうした社会では暴力による死亡率が極めて高く、一生のうちに、知り合いの4人に1人が暴力的に命を落とすほどでした。
また、平均寿命も21~37年と短く、暴力と過酷な環境が人々の生活を脅かしていました。

トマス・ホッブズの肖像

政治哲学者ホッブズは、こうした無秩序な状態を「万人の万人に対する闘争」と呼び、暴力の脅威そのものが害を及ぼすと指摘しました。人々が平和を求めるのは、死への恐怖を避け、快適な生活や経済的な安定を望むからですが、闘争状態ではその実現が困難になります。

ホッブズは、こうした状態を解消する方法として「共通の権力」を持つ中央集権的な権威、すなわち「リヴァイアサン」の必要性を説きました。彼は、無秩序な恐怖と破壊に直面するよりも、強力なリヴァイアサンの権威を恐れるほうが人々にとって良いと考えました。

『リヴァイアサン』の表紙

リヴァイアサンの形成には2つの道があるとホッブズは述べています。

一つ目は「制定による国家」で、これは大勢の人々が合意し、権力を移譲することで形成されます。
二つ目は「獲得による国家」で、力を持つ者が闘争の中で支配を確立する方法です。

どちらの道をとっても、主権の権威と権力に違いはなく、闘争状態を終わらせる目的を果たすとホッブズは結論づけました。
さらに、君主制・貴族制・民主制といった国家の形態について、ホッブズはこれらの違いは権力そのものではなく、国家樹立の目的にどれだけ適しているかの違いだと述べています。

衝撃と畏怖

ナイジェリアのラゴスが混乱に陥った背景には、国家がそれを止める「能力」を欠いていたことにあります。

国家能力とは、法執行、紛争解決、課税、公共サービスの提供、そして場合によっては戦争遂行など、国家が目的を達成するための力を指します。

この能力は、組織化の方法や官僚機構の質に大きく依存しています。
官僚や公務員が適切な手段と動機を持ち、国家の計画を実行できることが重要です。

この考え方は、ドイツの社会学者マックス・ヴェーバーによって提唱されました。

その一例として、1938年のドイツ第三帝国が挙げられます。

当時、ナチスはオーストリアからユダヤ人を追放しようとしていましたが、官僚機構の手続きが追いつきませんでした。
この問題を解決したのが、親衛隊(SS)のアドルフ・アイヒマンでした。
彼は「ワンストップ・ショップ」という効率化策を導入し、8か月で45,000人のユダヤ人を国外追放することに成功しました。

この官僚主義的なリヴァイアサンの能力は、人々を守るためではなく、ユダヤ人の根絶という非人道的目的に使われました。

ドイツ第三帝国は、ホッブズの定義に従えば強力なリヴァイアサンと言えます。大多数のドイツ人は国家に従属し、国家の意志が市民の意志を上回っていました。

しかし、このリヴァイアサンは「万人の万人に対する闘争」を防ぐどころか、市民を対象にした支配と殺戮を行いました。
ナチスのリヴァイアサンは、ホッブズが構想した平和と秩序をもたらす存在ではなく、国家が市民に対して挑む戦争の道具と化したのです。
ドイツ国民と占領地の住民が味わったのは、ホッブズが望んだ「闘争の終結」ではなく、国家による支配と恐怖そのものでした。

全能の国家への恐れは、ナチスドイツだけでなく中国でも繰り返されました。

1950年代、中国共産党は日本の植民地主義や西洋帝国主義から脱却し、有能な国家と社会主義社会の構築を目指していました。

1958年に毛沢東が主導した「大躍進政策」による大飢饉は、4500万人が餓死する甚大な人災を引き起こしました。
農業主体の村落社会から近代的な都市工業社会への急速な転換を目指したこの政策は、国家能力を総動員して計画、実行されたものでしたが、その結果、農民への重税や資源の集中が農業生産を崩壊させ、経済的悲劇をもたらしました。

毛沢東(1959年)

ホッブズが述べた「共通の権力が無いと人生は孤独で貧困で野蛮になる」との言葉とは対照的に、中国では強力なリヴァイアサンが存在したにもかかわらず、国民の生活はかえって悪化しました。
毛沢東の統治下では、人々は国家に対する畏怖と恐怖の中で生き、その生活は過酷で抑圧的なものとなったのです。

さらに、中国共産党は「労働教養(労働を通じた再教育)」制度を導入し、1956年以降、多くの再教育施設が設置されました。この施設では、拷問を伴う労働が行われ、法的手続きなしに国民を最大4年間拘留することが可能でした。

また、1979年以降も鄧小平政権下で制度が拡充され、2012年時点では16万人が拘留されていました。さらに、「共同体矯正制度」により、2014年には70万人以上が「矯正」されたと報告されています。

鄧小平(1979年)

中国のリヴァイアサンはナチスドイツ同様に紛争解決や業務遂行の能力を有していましたが、その力は自由の促進ではなく、露骨な抑圧と支配に利用されました。

ホッブズが期待した秩序の確立とは異なり、中国の国家権力は闘争を終わらせた代わりに、新たな悪夢を人々にもたらしたのです。

2つの顔をもつリヴァイアサン

ホッブズの主張には2つの大きな問題点があります。
1つ目の問題点は、彼がリヴァイアサンに1つの顔しか想定していないことです。

1つの顔は、ホッブズが理想としたリヴァイアサンで、闘争を阻止し、民衆を保護し、紛争を解決し、公共サービスや経済的繁栄の基盤を提供するものです。この顔は市民の生活を改善し、社会の安定を築く役割を果たします。

もう1つの顔は、専横的で恐ろしいリヴァイアサンです。
この顔は、市民を支配し、市民の労働の成果を奪うものです。ナチスドイツや中国共産党のように、この恐ろしいリヴァイアサンが支配する社会では、市民は国家の専横に苦しみます。
この「専横のリヴァイアサン」は、国家権力の行使について社会や一般市民が発言する手段を一切与えず、国家の一方的な支配を押し付ける点が特徴です。

2つ目の問題点は、ホッブズの「国家なき状態は暴力をもたらす」という前提です。
この考え方は、国家の存在が暴力を防ぐ唯一の手段であるかのように捉えていますが、国家が暴力を抑制するどころか、市民に対する支配や暴力の源になる場合もあります。ナチスドイツや毛沢東時代の中国がその典型例です。

つまり、リヴァイアサンが市民を守る存在であると同時に、市民を抑圧し、支配する存在にもなりうることを認識する必要があります。
この二面性を無視することがホッブズの議論の欠点だと言えるでしょう。

規範の檻

人類の歴史には戦争が絶えませんが、暴力の抑制に成功した「国家なき社会」も存在します。
著者たちはこれを「不在のリヴァイアサン」の下で暮らす社会と呼びます。

例えば、コンゴのムブティ族やガーナ付近のアカン族などがその例です。1850年代、イギリスの行政官フローディー・クルックシャンクはガーナについて「その道路はヨーロッパの文明社会と比べても劣らない」と報告しています。これは紛争の解決と正義が確保されていた社会ならではの成果です。

コンゴのムブティ族

アカン族の社会では、数世代をかけて発達した社会規範や慣習が、人々の協調を促していました。この規範が「リヴァイアサンが不在」の場合には特に重要であり、闘争を避けるための唯一の手段となりました。

しかし、規範には人々を守る役割だけでなく、「檻」を生み出し、支配を押し付ける一面もあります。中央集権的権威を持たない社会では、規範がより窮屈な檻となる傾向があるのです。

人々は首長や長老といった有力者の庇護を受ける代わりに支配を受け入れ、それが規範に刻み込まれ、伝統として根付いていきました。
自由を求める行動は危険を伴い、むしろ「檻の中」の生活を選ぶ方が安全だと考えられたのです。

アフリカでは奴隷や担保民など、人々が「モノ」として取引される状況が日常的でした。こうした従属的な地位もまた、規範に基づいて生まれたものであり、不平等な力関係を正当化する役割を果たしました。

規範は、時間をかけて社会全体の信念として受け入れられ、有力者に有利な形で解釈・運用されることで、その他の人々が割を食う構造を作り出しました。

結局、アフリカの「不在のリヴァイアサン」の下で暮らす社会では、自由とはケモノの餌食になるリスクを伴うものでした。人々は安全のために自発的隷属を選び、規範の檻に甘んじることで、自由を手放す道を選ばざるを得なかったのです。

規範は闘争を抑えるだけでなく、人々の生活の多くの側面を統制し、有力者に有利な社会構造を強化する道具ともなりました。

ホッブズを超えて

リヴァイアサンが存在しない社会の問題は、暴力の横行だけではなく、規範の檻というより深刻な問題にあります。

規範の檻は、不平等や新たな支配をもたらす構造を作り出します。
一方、強力な中央集権国家が存在すれば、専横的に振る舞い、自由を根絶する危険性があります。

自由への道は非常に困難ですが、人間社会には自由を生み出す余地があります。その鍵は、国家とその制度のあり方にあります。
ただし、その国家はホッブズが描いたリヴァイアサンとは異なる形をとるべきです。

必要なのは、法を執行し、暴力を抑制し、公共サービスを提供する一方で、社会によって制御される国家です。
このような国家が、自由と秩序を両立させる基盤となるのです。

足枷のリヴァイアサン

1867年頃、大陸横断鉄道完成を控えたアメリカ・ワイオミング州は、治安が悪く、殺人事件が多発する無法地帯でした。

しかし、現在のワイオミング州は、全米で最も殺人率が低く、暴力や恐怖、支配から解放された社会を享受しています。また、1869年に世界で初めて女性に選挙権を与えるなど、住民を「規範の檻」からも解放する実績を残しました。

この変化をもたらしたのは、「不在のリヴァイアサン」ではなく、市民を守りつつテキサスの無法者を制御できる能力を持ったリヴァイアサンの存在でした。
このリヴァイアサンは、合衆国憲法と権利章典に拘束され、さらに市民のデモや反乱による圧力によって「足枷」をはめられています。

「足枷のリヴァイアサン」は強力ながらも、警戒心を持つ市民社会の監視と制御の下で権力を行使します。

著者たちは、このように説明責任を果たし、社会と協調するリヴァイアサンを「足枷のリヴァイアサン」と呼んでいます。
この「足枷のリヴァイアサン」は、抑圧や支配という恐ろしい顔も持っていますが、足枷によってその悪しき側面を抑え込むことが可能になっています。

本書のテーマは、こうした足枷がどのように生まれるのか、そしてなぜ一部の社会でしか形成されないのかを解き明かすことにあります。

参考サイト:さくらフィナンシャルニュースnote

関連記事

  1. ジェームズ・ロビンソン氏の革命的視点が2024年ノーベル経済学賞に輝く

  2. 「AIの父、甘利俊一氏の遺産:ノーベル賞に隠れた天才の軌跡」

  3. 【自由の命運 国家、社会、そして狭い回廊】序章

  4. 2022年ノーベル経済学賞受賞者ベン・バーナンキ氏と彼の研究内容とは

  5. 【2024年ノーベル経済学賞受賞】ITの進化が世界を破壊する事実

  6. サイモン・ジョンソン氏、2024年ノーベル経済学賞受賞で明かす繁栄の秘密

  7. ノーベル経済学賞に最も近い人物。清滝信宏とは?

  8. ノーベル経済学賞に最も近づいた日本人~雨宮健~

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA