賃金を上げたら本当に雇用は減るのか。移民は賃金を押し下げるのか。学校にお金をかける価値はあるのか。 デイビッド・— E・カード(David E. Card, 1956–)は、教科書に並ぶ
大きな主張を、現実のデータで一つずつ検証した。
自然実験(natural experiments)と呼ばれる現場の“偶然の割当 ”を見つけ、差の差(DiD)・回帰不連続(RD)・操作変数(IV)などの手法を磨き上げ、労働市場の定説を次々と再評価。最低賃金、移民、教育のリターン、賃金格差の要因、といった論点で実証の作法を刷新した。
2021 年のノーベル経済学賞では、カードが労働経済学への実証的貢献で半分を単独受賞、残る半分はアンガス・ディートン …ではなく(※混同に注意)ジョシュア・アングリスト とグイド・インベンスが因果推論の方法論で受賞し、「現場での自然実験 × 厳密な推定理論」という二本柱が確立した。
1. 受賞者の経歴整理(出生地・学歴・主要ポスト)
出生:1956 年、カナダ・オンタリオ州グエルフ近郊。
学歴:クイーンズ大学(カナダ)で学士、プリンストン大学で Ph.D.(経済学)。博士課程で労働市場の実証に傾倒。
主要ポスト:シカゴ大学、プリンストン大学教授を経て、カリフォルニア大学バークレー校(現職、Class of 1950 Professor)。NBER リサーチアソシエイト。
共著者・系譜:アラン・B・クルーガー(最低賃金研究)、ローレンス・カッツ、ジョン・エイベル、トーマス・ルメイン、デヴィッド・ホートンほか。
代 表 作 : Card & Krueger (1994, 1995) の 最 低 賃 金 研 究 と 著 書 『 Myth and Measurement』、Mariel Boatlift の移民ショック研究、学校資源・教育の収益率の実証、賃金格差の要因分解 など。
小結:「理論→データで検定→政策へ」の道筋を、自然実験という橋で固めた実証労働経 済学の第一人者。
2. 主要理論・研究内容
キーワード:自然実験/差の差(DiD)/RD/IV/最低賃金/移民/教育の収益率/賃金格差/モノプソニー(買い手独占的労働市場)
2-1 最低賃金:「賃上げ=雇用減」一択ではない
何をした?
1992 年のニュージャージー州最低賃金引上げを“ 政策ショック”として、隣接するペンシルベニア州のファストフード店を対照群に設定。前後×地域の差の差で雇用の変化を比較。
何が見えた?
雇用減の明確な証拠は得られず、むしろ雇用は横ばい〜微増という結果も。
なぜそうなる?
単純な「完全競争」ではなく、採用やシフト調整・求人の摩擦、企業の価格付け余地、モノプソニー的な買い手力があると、賃上げが即時の雇用減に繋がるとは限らない。
実務翻訳
最低賃金は労働者保護×雇用影響のトレードオフで考えるが、現実の摩擦を織り込むと影響は文脈依存。水準・タイミング・補完政策(税控除、価格転嫁の監視、雇用補助)が設計の肝。
2-2 移民:「大量流入=賃金下落」も一律ではない
何をした?
1980 年のマリエル・ボートリフト(キューバからマイアミへ約 12 万人が短期流入)を自然実験化。マイアミの賃金・雇用を、近隣都市の推移と比較。
何が見えた?
低技能層の賃金急落は限定的/識別困難。産業構造・需要・補完関係など受け皿によって影響は大きく異なる。
実務翻訳
移民は代替だけでなく補完にも働く。受入れ枠の設計(言語・資格承認・職業訓練)や地域の産業ミックス次第で結果が変わる。
2-3 教育の収益率・学校資源:「学校にお金をかける価値」
何をした?
学歴・賃金データに加え、学区ごとのクラスサイズや教員給与、校舎環境などの差を活用 。出生月や制度の閾値を用いた RD/IV で、教育年数の因果効果や学校資源の実効性を推定。
何が見えた?
教育の私的収益率(賃金上昇)は有意に高く、学校資源も一定の条件下で学力・賃金を押し上げる。
実務翻訳
「基礎学力×継続率」を高める投資(早期教育、教員の質、ドロップアウト予防)は長期の所得に戻る。教育は支出ではなく投資。
2-4 賃金格差の分解:構造と制度の二層でみる
アプローチ
タスク内容の変化、残業規則・労組率・最低賃金などの制度、技術進歩が混在する現実を 、相対賃金の推移や分位別(分布)分析で分解。
示唆
格差の拡大はスキル需要の偏り(技術進歩)に加え、制度の変容(労組の衰退、最低賃金の実質目減り)も寄与。
実務翻訳
人的資本政策(教育・訓練)に加えて、制度の再設計(最低賃金・労働時間規制・交渉制度)を “両輪”で設計する。
2-5 実証の作法:自然実験 × 因果推論
自然実験:政策変更、地理的境界、突然のショック(工場閉鎖・移民流入・災害)を “割当”として活かす。
手法:
差の差(DiD):前後×対象/対照のクロス。
回帰不連続(RD):基準値ちょうどの前後比較。
操作変数(IV):外生的な“鉤”で原因の揺れだけを取り出す。
ポイント:「並行トレンド」など前提の検証、プラセボ(偽テスト)、感度分析、事前登録で再現性と透明性を高める。
3. 受賞理由と当時の経済状況(課題→答え)
課題:1980–2000 年代、最低賃金・移民・教育・格差をめぐる議論は理論と相関中心で、因果の決着がつきにくかった。
答え:カードは自然実験を見つけ、厳密な推定を施し、 “何が本当に起きているか”を示した。これにより政策設計の議論がデータ駆動に切り替わった。
方法論との共進化:カードの現場実験に対し、同年受賞のアングリスト&インベンスが局所平均処置効果(LATE)などの理論で後押し。現場 × 推定理論の相互補完が確立した。
4. 世界・日本への影響(政策・学問・日常)
4-1 政策
最低賃金:引上げの雇用影響は文脈依存。段階導入・対象業種の絞り込み・中小支援・税控除などの設計が結果を左右。
移民:受入れは職業訓練・言語教育・資格相互承認とセットで。地域の産業ミックスに応じたマッチングが大切。
教育:早期段階の基礎学力と継続率に重点。教員配置・ドロップアウト予防の費用対効果が高い。
4-2 学問
実証労働経済学は自然実験の探索力と識別の厳密さが標準化。DiD の改良(イベントスタディ、Sun & Abraham 型など)や RD の頑健性検査が一般化し、再現性の文化が定着。
4-3 日常・企業
採用・賃金:人手不足下での賃上げ×生産性設計(シフト管理、教育投資)。
多様性:移民・女性・シニアの補完性を活かす職務設計。
教育連携:企業内訓練と高専・大学のパイプで、現場適応力を高める。
4-4 日本への示唆
最低賃金の地域差と中小企業:段階導入+支援パッケージで雇用影響を緩和。
外国人材の受入れ:資格・言語訓練・職業紹介の同時設計。
教育投資:不登校・中退予防・到達度別補習を“因果設計”で評価。
賃金格差:人的資本×制度の二層政策(訓練+最低賃金・同一労働同一賃金など)。
5. 批判と限界
再現性・測定誤差
最低賃金やマリエル・ボートリフトは、その後のデータ更新・別サンプルで異なる結果が報告されたケースもある。文脈依存と測定誤差の管理が重要。
外部妥当性
特定の州・時期の結果が、他国・別の景気局面で同じとは限らない。複数ケースのメタ分析が必要。
モデルとデータの往復
自然実験は強力だが、背後のメカニズム(企業の価格付け・求職摩擦)を理論で裏づけ 、一般均衡効果を点検する必要がある。
手法の落とし穴
DiD の並行トレンド、RD の閾値操作、IV の強さなど、識別仮定への感度が高い。事前登録・偽実験・ロバストネスを必須に。
分配と厚生
雇用“量”だけでなく、労働時間・職務内容・無形福利、消費者価格や企業の投資への波及も評価対象に。
6. 今日的意義(格差・AI・環境など)
6-1 格差
人的資本×制度設計の二層で格差に向き合う。教育・訓練と、最低賃金・交渉制度・税・給付の組み合わせで分布全体を押し上げる。
6-2 AI・プラットフォーム
生成 AI・自動化は職務タスクを再分配。補完型の再設計(人×AI)と訓練がリスクを和らげる。プラットフォームの “買い手力(モノプソニー)”やアルゴリズム管理に対する透明性ルールも論点。
6-3 環境移行(GX)
炭素価格・省エネ規制は産業と地域に異なるショック。カード流の自然実験設計(段階導入・境界比較)で雇用影響を実測し、職業訓練・移行支援の規模を決める。
7. 図解イメージ

8. ケーススタディ
ケース A:日本の最低賃金を「段階導入×評価」で
設計:地域・業種で時差導入し、導入前後×対照地域の DiD を事前合意。
KPI:雇用数・労働時間・有効求人倍率・価格転嫁・倒産率。
補完:中小向け雇用調整・投資減税、価格カルテル監視。
ケース B:外国人材の受入れを「訓練×マッチング」で
設計:言語・職能の短期ブートキャンプ、資格相互承認、公共職業紹介の拡充。
評価:職種×地域のパネルで、賃金・離職・生産性を追跡。
ケース C:高校中退リスクへの早期介入
設計:出席・成績でリスク閾値を定め RD 設計で支援割当。
評価:在学継続率・卒業・就業の追跡。費用対効果も算定。
9. 実務者チェックリスト(政府・自治体・企業・研究者)
目的は一文で(例:「対象業種の常用雇用を 1 年で−2%以内に抑えつつ、時給を+5%」)。
自然実験を探す(時差導入、境界、閾値、外生ショック)。
識別の作法(並行トレンド検証、事前トレンド、プラセボ、バンド幅感度)。
主要指標+副作用(雇用量・時間・価格・利益・投資・離職・健康)。
分布で見る(平均値だけでなく分位別・層別)。
ヘテロ効果(中小、若年、女性、移民、地域)。
長期追跡(1–5 年の遅効を視野に)。
透明性(事前登録、コード共有、再現可能データ)。
政策の 組み合わせ (賃金ルール“ ” ×訓練×税制×社会保険)。
コミュニケーション(「効かなかった」結果も公表し、次の設計に回す)。
10. まとめ —「現実が語る」を制度にする
カードの貢献は、労働市場の議論をイデオロギーから識別可能な因果推論へと移したことにある。最低賃金も移民も教育も、文脈と設計で結果が変わる。だからこそ、自然実験を設計し、測って、学ぶ。この作法が政策の標準になれば、議論は「賛否」から「どの条件で、どの程度、どう設計すればよいか」へと前に進む。
測って、たしかめて、直す。——それがデイビッド・カードの遺した実務の約束事である 。
さくらフィナンシャルニュース
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