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ジョシュア・アングリスト“因果推論を 設計可能な科学”へ

「データは正直だ。ただし割り当て(assignment)が正しく設計されていれば 。——」ジョシュア・D・アングリスト(Joshua D. Angrist, 1960–)は、自然実験・操作変数(IV)・回帰不連続(RD)・差の差(DiD)といったデザイン・ベースの因果推論を理論と実証の両側から磨き上げ、経済学の実証研究に“何をどう比べれば因果がわかるのか”という実務的作法を根づかせた。プリンストン大学で博士号を得たのち、MIT で長く研究・教育に携
わり、教育・労働・公共政策の現場を舞台に自然実験から政策含意を引き出す技法を確立。

2021 年、デイビッド・カード、グイド・インベンスとともにノーベル経済学賞を受賞した。本稿は、提示されたフローに沿い、経歴→主要理論と研究 受賞理由と時代背景→世界・日本への影響→批判と限界→今日的意義を、図解イメージと実務チェックリスト付きで立体的に解説する。

1. 受賞者の経歴整理(出生地・学歴・主要ポスト)

出生:1960 年、米国オハイオ州コロンバス生まれ。少年期をペンシルベニアで過ごす。

学歴:オーバリン大学で学士(1982)。イスラエルでの兵役を経て、プリンストン大学で Ph.D.(1989)。

主要ポスト:ハーバード大学助教授、ヘブライ大学准教授を経て、マサチューセッツ工科大学(MIT)へ。現在は Ford Professor of Economics。MIT の政策・教育評価拠点(旧 SEII、現 Blueprint Labs)共同ディレクター。

研究領域:因果推論の方法論(IV・LATE・RD・DiD の設計と推定)、労働・教育・公共経済、計量実務(クラスタ標準誤差・弱い計量問題)。

代表的著作:『Mostly Harmless Econometrics』(Pischke との共著、通称 MHE)と**『Mastering ’Metrics』。難解な計量学を 設計図+レシピ“ ”**で現場に普及させた。

小結:理論の厳密さと、政策現場の“使い勝手”を両立。「識別(identification)→ 推定→検証→解釈」という行動可能な枠組みを提示した。

2. 主要理論・研究内容

カギは「誰が何を根拠に比較されているのか」。平均だけを眺めるのではなく、割り当ての仕組みを手がかりに、反実仮想(もし介入がなかったら)をつくる。

2-1 操作変数(IV)と LATE:「揺らし」を使って因果をつかむ

問題設定:教育年数が賃金を高めるか?単純な相関は能力・家庭背景に左右される(交絡)。

アイデア:外生的に処置を 揺らす 要因=操作変数(“ ” Instrument)を利用し、その揺れに伴うアウトカムの変化だけを拾えば、因果効果に近づける。

代表的自然実験

出生四半期:就学年齢の規則による学校在学年数の差を利用して、教育の収益率を推定。

ベトナム戦争ドラフト抽選:徴兵抽選番号という外生ショックを使い、兵役が後年の所得や健康に与える因果効果を測る。

LATE(局所平均処置効果)

すべての人の平均効果(ATE)ではなく、インストゥルメントに従って処置が変わった人(=コンプライヤー)の平均効果を同定するという概念。

前提:関連性(relevance)、外生性(exogeneity)、排除制約(exclusion)、単調性(monotonicity)。

直観図(文字版)

Z(外生の揺らし) → D(処置:教育年数など) → Y(賃金)
       ↘(禁止: Z が Y へ直接効くのは NG)

実務 Tips

F 統計量で弱い操作変数を警戒(経験則 10 以上)。

第一段回の妥当性(Z→D)と排除制約(Z↛Y|D)を理論・制度で説明。

誰の効果か(LATE)を明記:政策対象とのミスマッチを避ける。

2-2 回帰不連続(RD):「境目」の前後で世界を比べる

問題設定:奨学金の基準点や年齢制限など、閾値で処置が切り替わる政策。

アイデア:閾値の直前と直後の人はほぼ同質。その微小差の比較が因果効果。

図のイメージ:

横軸:スコア(基準点)/年齢、縦軸:アウトカム。閾値で跳ね上がり(または下落)が観測されるか。

実務 Tips

局所線形回帰+適切な帯域(バンド幅)。

操作の不在(閾値近辺でのスコア改ざんがないか)を検証。

シャープ RD/ファジー RD の区別(後者は RD×IV)。

2-3 差の差(DiD):前後×対象/対照の“クロス”で因果を拾う

問題設定:最低賃金引上げ、学区改革、税制改正など時点の異なる導入。

アイデア:政策あり地域の“前後差” から政策なし地域の“前後差”を差し引くと、共通ショックが打ち消される。

実務 Tips

並行トレンド仮定の事前検証(イベントスタディ)。

多時点・異時導入では最新の DiD 推定量(例:Sun–Abraham 型)でネガティブ・ウェイト問題に対処。

クラスタ標準誤差で系列相関を抑える。

2-4 “Mostly Harmless”の精神:「設計→推定→検証→解釈」を簡素に、透明に

再現可能性:事前登録・コード公開・ロバストネス(帯域・仕様の感度)。

標準誤差:クラスター化、ヘテロスケの頑健分散。

弱い計量に強い:仮定に過度に依存しないデザイン重視のモデル化。

2-5 教育・労働での応用例

学級規模と学力:ミシュナの “ マイモニデスの規則” (40 人閾値)を活用し、学級規模の因果効果を推定。

教育の収益率:出生四半期・義務教育法改正の RD/IV で、教育 1 年の賃金プレミアムを識別。

学校選択の抽選:スクール・チョイスのロッタリーを自然実験化し、入学先が進学・成績・所得に与える効果を測定。

兵役の因果効果:ドラフト抽選番号を IV に、兵役→所得・健康・婚姻の影響を推定。

3. 受賞理由と当時の経済状況

課題(1980–2000 年代):相関分析が政策議論を誤らせる。自己選択・同時因果・観測不能な交絡で、何が効いたのかが曖昧だった。

答え:アングリストは自然実験の設計を軸に、IV・RD・DiD を理論と実務で洗練。さらにインベンスとともに LATE の枠組みを提示し、「何を同定しているのか」を明確化した。

意義:識別(Identification)が最上位概念になり、計量=設計学へ。以後、労働・教育・公共政策のエビデンスはデザイン・ベースが標準に。

4. 世界・日本への影響(政策・学問・日常)

4-1 政策実装の型

教育:学級規模、学校選択、教員配置、奨学金、公立・私学補助——抽選・基準点・導入時差を利用した事前合意の評価設計が普及。

労働・最低賃金:境界・導入時差を使う DiD と RD で、雇用・価格・利益・投資への副作用も評価。

医療・保健:年齢基準・リスクスコア閾値の RD、保険制度改定の DiD でアウトカムと費用を可視化。

税・社会保障:控除・給付の段差を RD、改正を DiD で評価。負の結果も公開して次の設計へ。

4-2 学問への波及

計量の標準:MHE により、クラスタ SE・弱 IV・事前トレンドなどの作法が教科書化。

教育経済学の復権:教育の因果効果を厳密に測る研究が主流に。

再現性運動:事前登録・レジストリ・コード公開が学会の規範へ。

4-3 日本への実装アイデア

学校現場:

到達度別補習や ICT 導入を段階導入 RCT/RD で評価。

学級規模の弾力運用(閾値近傍)をファジー RD で検証。

労働市場:

最低賃金引上げを地域×時差で導入し、事前合意の DiD で雇用・賃金・価格・倒産を同時トラック。

外国人材制度の改定を RD/DiD で追跡、職種別のヘテロ効果を重視。

医療・介護:

要介護認定の閾値を用いた RD でサービス効果を測定。

診療報酬改定を DiD で検証し、医療の質×費用の最適点を探る。

5. 批判と限界

LATE の外挿性:IV が同定するのはコンプライヤーの効果。政策対象の母集団とズレると、解釈を誤る。

単調性の争点:すべての個人が「Z が上がれば処置が増える」わけではない可能性。群内異質性に注意。

弱い操作変数:第一段が弱いと推定が不安定。第一段の強さ(F 統計量)と部分的識別の議論を。

RD のローカル性:閾値近傍の局所効果。帯域選択・関数形のロバストネス必須。

DiD の仮定違反:並行トレンドの破れ、異時導入の二重差で生じる負の重み。最新推定量と事前トレンド検証で緩和。

一般均衡・長期波及:自然実験は部分均衡になりがち。価格・移転・ネットワークの波及や長期的再最適化を追う拡張が必要。

倫理と透明性:割当の公正、データ保護、ネガティブ結果の公開が信頼の基盤。
 
6. 今日的意義(格差・AI・環境など)
6-1 格差

教育・訓練の因果効果を層別(分位)で測り、誰に何が効くかを設計。給付・税控除もRD/DiD で分布全体の厚生を評価。

6-2 AI・アルゴリズム政策

ロッタリーやスコアリングなど行政の割当アルゴリズム自体が自然実験の場。AI の導入効果を設計された無作為化や RD で評価し、公平性指標も併置。

プラットフォーム労働:手数料改定・ランキング変更をイベント×DiD で検証、モノプソニー(買い手力)やアルゴ管理の厚生効果を推定。

6-3 気候・公衆衛生

ボーダー炭素調整・燃費規制などの段階導入を DiD で、健康基準の閾値を RD で評価。適応政策もデザイン・ベースで“ 効く/効かない”を峻別。

7. 図解イメージ

図 1:IV の世界
外生の揺らし Z → 処置 D → アウトカム Y。**Z↛Y(直接)**が排除制約。Wald 推定量=(Z→Y の差)/(Z→D の差)。

図 2:RD の飛び
横軸スコア、縦軸アウトカム。閾値 c でのジャンプが因果効果。

図 3:イベント・スタディ(DiD)
介入前にトレンド差がないかを可視化。介入後の係数の軌跡で遅効・持続を判断。

図 4:Who is treated?
Always-taker / Never-taker / Complier / Defier の分割図。LATE は Complier の効果。

8. ケーススタディ(応用)
ケース A:学校選択のロッタリー評価(地方自治体)

設計:抽選番号を IV に、希望校入学が学力・進学・欠席・満足度に与える効果を推定。

KPI:到達度、欠席、進学、保護者満足、通学時間。層別効果(低所得・移民・女子)も。

ケース B:最低賃金の段階導入と事前評価

設計:地域別・業種別に時差導入。事前合意の DiD で雇用・賃金・価格・倒産・投資を同時トラック。

補完:中小支援(社会保険料減免・省力投資補助)を同時評価。

ケース C:医療の年齢基準 RD

設計:検診無料化の年齢閾値で受診・疾病・医療費の効果を推定。

運用:バンド幅感度・偽閾値テスト・マニピュレーション検定を必須に。

ケース D:職業訓練・人材移動

設計:受講スコア基準や抽選で RD/IV。就業・賃金・離職の 1–3 年追跡。

実装:採用企業側アウトカム(生産性・離職)も結合。

9. 実務者チェックリスト(政府・自治体・研究者・企業)

目的を一文で(例:「高校卒業率を 2 年で+5pp」)。

割当の設計:抽選・閾値・段階導入・境界ー自然実験の “素 ”をつくる— /見つける。

仮定の明文化:IV なら排除制約・単調性、DiD なら並行トレンド、RD なら連続性。

前処理:共変量の整合、事前トレンドの確認、事前登録。

推定:クラスタ SE、弱 IV の検査、局所線形 RD、最新 DiD 推定量。

ロバストネス:帯域・関数形・窓幅・期間の感度、プラセボ、偽閾値。

外部妥当性:誰の効果か(LATE)を重視し、他集団での再現を計画。

副作用:価格・混雑・離職・健康・分配。平均と分布(分位)の両方を見る。

透明性:コード・データ・仕様の公開、負の結果の共有。

制度化:翌年度予算・運用へ評価結果を反映する仕組み(PDCA)を明記。

10. まとめ —「何を比較すれば、因果が見えるか」

アングリストが経済学にもたらした最大の贈り物は、因果推論を“設計可能な科学”にしたことだ。IV・LATE・RD・DiD は、難解な数式ではなく、割当の仕掛けと反実仮想の作り方を明確にするための道具に過ぎない。重要なのは、誰をどこと比べるのか、どの仮定で何を同定しているのかをはっきり言語化し、正々堂々と検証する姿勢だ。
格差、AI、環境、パンデミック——不確実性の大きい課題こそ、デザイン・ベースの因果推論が真価を発揮する。小さくても良い自然実験を設計し、測って、学び、直す。その繰り返しが、政策と企業の意思決定を、相関の呪いから解き放つ。

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