金属有機構造体(MOF)で、化学に新しい居場所をつくった
【第 1 章】序―世界が驚いた「日本人の発見」
2025 年、ノーベル化学賞。 共同受賞はオマー・ヤギー、リチャード・ロブソン。授賞理由は、金属イオン(あるいは金属クラスター)を“結節点”、有機分子を“梁(はり)”として組み上げ、内部に巨大な空隙をもつ結晶――金属有機構造体( MOF)を創出し実用へ導いたことに対してである。
20 世紀の化学が 分子そのもの をつくる技術だとすれば、“ ” 21 世紀は「分子で空間を設計する」時代へ。北川はその設計図と作法を整え、吸着・分離・貯蔵・触媒の地平を一気に押し広げた。ひと言でいえば、「見えない空間を道具化した人」である。
当時の世界は、脱炭素・資源循環・水危機という課題に直面していた。 CO₂ を選んで捕まえ、水の中の不純物だけを抜き取り、必要な分子だけを通す――“やさしく・選んで・確かに”が求められた。MOF はこの要請に応え、省エネの分離プロセスやガス貯蔵・水収穫へとつながっていく。
【第 2 章】原点―幼少期から形成された“ 探究心”
京都に生まれ育つ。 学生時代から「見えないものの挙動を、道具に変える」ことに惹かれ配位化学を入り口に分子がつくる網目(ネットワーク)へと関心を深めた。若い研究者のころ、彼を動かしたのは“偶然の結晶がなぜ生まれるのか”という小さな違和感である。
ビーカーの条件、溶媒の選び方、温度の履歴――些細な差分が“空間の人格”を変えること に気づく。
恩師の教えは素朴だ。「よく洗い、よく待ち、よく観る」。美しい単結晶が現れるまでの沈黙の時間が、北川の作法を形づくった。現象を急がせず、構造を急がせず。のちにMOF の柔らかさ(呼吸・ゲスト応答)を掴み取る感性は、この“待つ研究”から養われた。
【第 3 章】発想の転換―世界を変えた着想とブレイクスルー
3-1“分子で梁を組む”という建築発想
金属イオン(または金属クラスター)を四つ角や六つ角の“ジョイント”に、長い有機配位子を“梁”に見立てる。これを自己組織化で結晶化させると、内部に広大な空隙(細孔)をもつ規則的多孔体が生まれる。これはゼオライトの無機骨格**とも、高分子のランダムな網とも違う、分子レベルで“設計可能な空間”**である。
3-2 「壊れやすさ」を「使える強さ」に
黎明期の MOF は濡れると崩れる・熱や溶媒に弱いなど、実用には遠かった。北川は金属―配位子結合の選び方(例:カルボキシレート/窒素ドナー)や多核金属クラスターの利用で骨格の“剛さ”を高め、さらに結晶間相互作用や後処理によって耐水性・耐熱性を向上させた。「見知らぬゲストが来ても形が崩れない」――この安定化が、 MOF を実験室のおもちゃから産業の部品へと押し上げた。
3-3“空気を吸って吐く”呼吸する結晶
北川が見抜いた MOF の本質は、固体なのに可撓(かとう)で、外界の分子に“たわむ”ことだ。CO₂ が来ると少し広がり、別のガスには閉じる――格子が呼吸する。この選択的な形の変化は、温度や圧力を大きく変えなくても高い分離性能を発揮できることを意味した 。
“やさしく・選んで・確かに”という分離の理想形に、MOF は構造から答えたのである。
3-4“空を編む”応用群
CO₂ 回収:排ガスから CO₂ だけを選んで吸着し、少ないエネルギーで放す。
水からの回収・浄化:金属イオン、微量有機汚染物、PFAS など狙った不純物を選択吸着。
水収穫:乾燥空気から夜露のように水を凝集し、太陽熱で回収。
水素・メタン貯蔵:“小さな容器に大きくしまう”ことを可能にし、モビリティ・分散電源の設計自由度を広げる。
固体触媒:反応場を細孔形状で“仕込む”ことで、選択性の高い化学変換を実現。
MOF は“空間”という共通資産を媒体に、環境・エネルギー・創薬・センシングへ枝を伸ばしていった。
【第 4 章】栄光の瞬間―ノーベル賞受賞とその反響
2025 年 10 月、受賞決定。 すでに世界中のラボと工場で MOF は生産・実証が進み、“新しい常識”の顕彰として広く受け止められた。海外メディアは、「化学に”部屋( room)“を与えた」と表現し、砂漠の空気から水を得る装置や CO₂ 選択吸着材など、未来志向の応用例を一斉に紹介。日本では、京都の研究拠点から世界標準が育ったことに誇りの声が上がった。
会見で北川は穏やかに語る。「分子のつながり方を少し変えるだけで、空間の性格が変わる。そこに化学の自由がある。」 そして、黎明期から支えた学生・共同研究者・技術スタッフ・企業パートナーの名を挙げ、「改良の積み重ねこそが最短距離」だと結んだ。
【第 5 章】その後の人生―栄誉の先にある“ 静かな闘い”
受賞後も北川は、 使える“ MOF”の条件作りに余念がない。
スケール化:グラムからキロへ。結晶を粉末→成形体→膜へと形態転換し、圧損・強度・ サイクル安定性を満たす製造学を鍛える。
複合化:ポリマーや無機材料とハイブリッドにして、成膜性・機械強度・加工性を底上げ。
選択性の微調律:細孔径・官能基・金属中心の微細設計で、“誰を入れて誰を拒むか”を分子レベルで制御。
指標づくり:吸着量や分離係数だけでなく、ライフサイクル・製造エネルギー・リサイクルまで含む評価規格を提唱。
社会に向けては、長期投資と共同研究の重要性、研究データの公開と標準化を一貫して発信。若手には「結晶が何を“語っているか”を聞き取りなさい」と伝える。測れないものを測れる形にするのが化学の仕事だからだ。
【第 6 章】遺したもの―未来への継承と影響
第一に、化学の座標軸の拡張。 分子の“組成”や“官能基”だけでなく、“空間(細孔)そのものの設計”が主役になった。「ゼオライトの硬さ」と「高分子の柔らかさ」の間に新しい領域が生まれ、選択吸着・並行反応・分子配列制御が高次元に洗練された。
第二に、分離プロセスの省エネ化。 産業のエネルギー消費の巨塊は“分離” 。 MOF は常温・常圧近傍で“選んで捕まえる”ことができ、蒸留頼みの世界を変えうる設計自由度を提供した。これは CO₂ 回収や水処理に限らない、化学工業全体の構造転換への布石である。
第三に、人材と共創の文化。 結晶化学×表面科学×プロセス工学×データ科学を横断する“MOF リテラシー”が世界に広がり、装置に触れる理論家/理屈を語れる装置屋という両利き人材が育った。
第四に、社会への物語。 「見えない空間を設計して資源問題に挑む」という発想は、若い世代の好奇心を強く刺激した。地方の研究室やスタートアップからも“空間の工学化”に挑む動きが続いている。
【第 7 章】まとめ― 一人の科学者から学ぶこと
北川 進が教えるのは、「化学は 空間 をも設計できる」という視点だ。
問いを立てる勇気:なぜこの分子は通れて、あの分子は通れないのか。 その違い“空間の性格”として捉え直す。
方法の誠実さ:結晶化条件の一行をおろそかにせず、壊れやすさを壊れにくさへ積み木のように組み替える。
工程への翻訳:粉末から膜へ、膜から装置へ。偶然の成功を工程にし、工程を標準に。
公共財の精神:データと規格、成功も失敗も共同体に還流させることで、“空間の設計学”を社会の道具へ。
結果として私たちは、CO₂・水・エネルギーという地球規模の課題に対し、穏やかで選択的な分離・貯蔵・触媒という現実的な回路を手にした。次の世代へ――見えない空間を見える課題へ。 そして、やさしく・選んで・確かに進む。化学はまだ、私たちの居場所を広げられる。北川の仕事は、その確信を静かに、しかし決定的に示している。
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