注目の記事 PICK UP!

 民主主義は資本主義の邪魔なのかテック富裕層が描く 「企業国家」とネットワーク国家の未来

私たちは、資本主義と民主主義を一組の制度として考えがちである。

選挙によって政治家を選び、議会で法律を決め、民間企業が自由に経済活動を行う。それが現代の先進国に共通する仕組みだと思われている。

しかし、両者は本当に切り離せないものなのだろうか。

民主主義の起源は古代ギリシャにまでさかのぼる一方、近代的な資本主義が本格的に発達したのは、産業革命や植民地貿易が拡大した近世以降である。資本主義は必ずしも、普通選挙や議会制民主主義によって生まれたわけではない。

現在、シリコンバレーの投資家やテクノロジー思想家の一部から、国家を企業のように再設計しようという構想が登場している。

議会、官僚組織、複雑な規制、多数決による政策決定は、技術革新を妨げる非効率な制度ではないか。国家間にも企業と同じ競争を導入し、住民が望む制度を自由に選べるようにすべきではないか。

それは国家の進化なのか。それとも、民主主義から富裕層が脱出するための仕組みなのか。

第1章 香港は「民主主義なき資本主義」の理想郷だったのか

自由市場を重視した経済学者ミルトン・フリードマンは、かつて香港を自由な資本主義の成功例として高く評価した。

当時の香港は英国の植民地であり、住民が最高統治者を選挙で選ぶ制度ではなかった。総督は英国政府によって任命され、現在の民主国家と同じ意味での議会制民主主義が確立されていたわけではない。

一方で、税率は低く、貿易や企業活動に対する規制も比較的少なかった。香港は国際金融、物流、製造業の拠点として急速に成長し、「経済的自由があれば、政治的民主主義が十分でなくても繁栄できる」という見方を支える事例となった。

ここで重要なのは、経済的自由と政治的自由が必ずしも同じではないという点だ。

企業を設立できること、財産を所有できること、海外と取引できることは経済的自由である。しかし、政府を批判できること、統治者を選挙で交代させられること、政策決定に参加できることは政治的自由である。

経済活動が自由であっても、統治者を住民が選べなければ、その社会を民主主義国家と呼ぶことは難しい。

香港の経験は、資本主義が民主主義なしでも一定期間発展し得ることを示した一方、経済的繁栄だけでは政治的な権利を保証できないことも示している。池田信夫氏も、資本主義と民主主義には必然的な結び付きがないという問題を提起している。

第2章 シンガポールは自由市場ではなく「国家経営」の成功例

「民主主義なき資本主義」の代表例として、しばしば挙げられるのがシンガポールである。

シンガポールは低い税率、安定した行政、整備されたインフラ、治安の良さなどを背景に、世界中の企業や富裕層を引き付けてきた。

しかし、その成功を単純な自由放任政策の成果と考えるのは正確ではない。

シンガポール政府は独立後、工業団地、港湾、住宅、交通、教育などを主導的に整備した。政府系企業も国内経済で大きな役割を担い、政府系投資会社のテマセク・ホールディングスは、財務相を唯一の株主とする政府所有企業である。

さらに、シンガポールには中央積立基金、いわゆるCPFがある。

これは労働者と雇用主が資金を積み立て、老後だけでなく、住宅購入や医療などにも利用する強制貯蓄制度である。単純な民間任せではなく、国家が国民の所得の一部を積み立てさせ、生活設計を制度的に管理する仕組みといえる。

つまり、シンガポールの本質は「政府が何もしない国」ではない。

むしろ、政府が土地、住宅、貯蓄、産業政策、国家資産を強く管理しながら、そのうえで市場競争を活用している。

これは小さな政府というより、国家を一つの巨大企業のように効率よく運営する「開発主義」の成功例と見るべきだろう。

問題は、その効率性と引き換えに、政治的な多様性や言論、政権交代の可能性をどこまで制限してよいのかということである。

 第3章 国家を企業のように経営する思想

企業では、すべての従業員や顧客による多数決で経営方針を決めるわけではない。

経営者が意思決定を行い、従業員は業務を遂行する。経営がうまくいかなければ、顧客は別の会社の商品を選び、投資家は株式を売り、従業員は転職する。

テクノロジー思想家やリバタリアンの一部は、この仕組みを国家にも応用できると考える。

国民があらゆる政策を選挙で決めるから、短期的な人気取りや利益誘導が起こる。議会での調整に時間がかかるため、技術革新に法律が追い付かない。官僚組織が肥大化し、責任の所在も曖昧になる。

それなら、国家を明確な経営方針を持つ組織に変え、最高経営責任者のような統治者が迅速に決定した方がよいという発想である。

良い国家には住民と企業が集まり、悪い国家からは人と資本が逃げていく。国家が住民を奪い合うことで、税率や行政サービスにも競争が生まれる。

一見すると合理的である。

しかし、企業と国家には決定的な違いがある。

企業の商品が嫌なら買わなければよい。だが、国家が提供しているのは商品だけではない。治安、司法、教育、福祉、インフラ、通貨、国籍など、人間が社会で生きるための基盤そのものである。

企業の顧客は、原則として商品を購入しない自由を持つ。しかし国家の住民は、簡単に国籍や居住地を変更できるわけではない。

国家を企業に変えたとき、住民は株主になるのか、従業員になるのか、それとも単なる顧客になるのか。

この点を曖昧にしたまま効率性だけを追求すれば、政治参加の権利が「経営の邪魔」として排除されかねない。

 第4章 ピーター・ティールが疑った自由と民主主義の両立

米国の投資家ピーター・ティールは、PayPalの共同創業者であり、テクノロジー業界と政治の両方に大きな影響力を持つ人物である。

ティールは2009年に発表した文章の中で、自由と民主主義の両立に対する疑念を示したことで知られている。この発言は、その後のテクノ・リバタリアンや新反動主義を論じる際にも頻繁に引用されてきた。

民主主義では、一人一票の多数決によって政策が決まる。

所得の高い少数者よりも、中間層や低所得層の有権者が多数を占めれば、富裕層や企業に対する課税、規制、再分配が強化される可能性がある。

一部のリバタリアンから見れば、これは多数派が少数者の財産を政治的に取り上げる行為にも見える。

また、政治家は何十年後の国家より、数年後の選挙を優先する。将来への投資より、目の前の給付や補助金が選ばれやすい。複雑な議会手続や官僚制度は、急速に進歩するAI、暗号資産、宇宙開発、バイオテクノロジーなどについていけない。

そこで彼らは、既存の国家を内部から改革するより、国家の外側に新しい社会をつくろうとする。

ティールはシーステディングへの支援や、半自治的な都市を構想する投資にも関わってきた。現在は、既存国の同意を得ながら実験都市をつくる構想にも資金が向けられている。

ここで選ばれているのは、政治への「参加」より国家からの「退出」である。

 第5章 海上に新しい国家をつくる「シーステディング」

既存国家の法律や政治から距離を置く方法として提唱されてきたのが、海上に自治的な都市を建設するシーステディング構想である。

シーステディング研究所は2008年、ミルトン・フリードマンの孫であるパトリ・フリードマンによって設立された。同研究所は、海上の浮体都市で新しい統治制度を試すことを掲げている。公式サイトでも、浮体社会を通じて新たな政府のアイデアを実験することを使命としている。

構想上は、それぞれの海上都市が異なる税制、法律、教育制度、社会保障制度を採用する。

ある都市は税率を極端に低くし、別の都市は環境保護を重視する。AIによる行政を行う都市や、暗号資産だけを通貨とする都市が生まれるかもしれない。

住民は、自分が望む制度の都市を選ぶ。運営に不満があれば、別の都市へ移る。

国家制度を競争させるという意味では、非常に大胆な発想である。

一方で、海上都市も完全に法律から自由になれるわけではない。船舶の登録国、海洋法、領海、港湾利用、安全基準など、既存国家との関係を避けることはできない。

さらに、企業が警察や裁判所を運営した場合、その企業と争う住民を誰が守るのかという問題が残る。

経営者が不正を行ったとき、住民は選挙で交代させられるのか。資金のない住民も別の都市へ移れるのか。事故や災害が起きたとき、誰が最終的な責任を負うのか。

国家を海の上に移しても、権力と責任の問題まで消えるわけではない。

 第6章 インターネットから国家をつくる「ネットワーク国家」

海上に都市を建設するより、先にインターネット上で国家をつくるべきだと主張するのが、起業家バラジ・スリニヴァサンである。

スリニヴァサンは、暗号資産交換業者コインベースの元最高技術責任者であり、2022年に『The Network State』を公表した。

ネットワーク国家は、最初から領土を持つわけではない。

まず、共通の理念や目的を持つ人々がオンライン上に集まる。独自のデジタル通貨をつくり、参加者の数や資産、活動実績を記録する。

その共同体が十分に拡大した後、参加者が世界各地で土地や建物を取得する。離れた地域に点在する拠点をオンラインで接続し、最終的には既存国家から外交的な承認を得る。

公式サイトは、ネットワーク国家を国民国家に続く仕組みとして説明し、テクノロジーによって新しい都市や国家を始められるかと問い掛けている。

従来の国家は、領土の中に住む人々が国民になる。

ネットワーク国家では逆に、最初に理念を共有する人々が集まり、その後で領土を取得する。

これはオンラインサロン、暗号資産、企業、宗教共同体、移民国家を組み合わせたような構想ともいえる。

ただし、価値観の合う人だけが集まる社会は、異なる意見を持つ人との対話を失う危険がある。

ネットワーク上では、気に入らない人をブロックし、共同体から退出させることができる。しかし、現実の国家では、異なる思想、所得、年齢、文化を持つ人々が同じ地域で暮らしている。

社会は、同じ価値観の人だけでつくられるものではない。

 第7章 特別経済区は新しい植民地にならないか

海上国家やネットワーク国家はまだ実験的な構想だが、特別経済区はすでに世界各地に存在する。

特別経済区では、通常の国内法とは異なる税制、投資規制、労働規制、通関制度などが採用される。海外資本を呼び込み、雇用や産業を生み出すことが目的である。

成功すれば、停滞していた地域に企業、道路、住宅、学校が整備される可能性がある。

しかし、特区が巨大化し、民間企業が行政、治安、裁判、土地利用まで担うようになれば、実質的な企業統治地域となる。

住民にとって最大の問題は、自分たちが制度を決める権利を持てるかということである。

海外投資家と政府の合意だけで特区が設けられ、もともとその土地に暮らしていた人々の意思が反映されなければ、それは自由都市ではなく、外部資本による統治になりかねない。

経済特区を無条件に植民地と同一視することはできない。しかし、土地、司法、税制、公共サービスの決定権が住民から切り離されれば、植民地支配と似た権力構造が生まれる可能性はある。

投資を呼び込むことと、主権を譲り渡すことは同じではない。

重要なのは、企業が撤退した後も地域社会が存続できるのか、住民が運営者を監視できるのか、労働者や少数者の権利が守られるのかという点である。

第8章 「選べる国家」は本当に自由なのか

企業国家を支持する人々は、国家にも市場競争を導入すべきだと主張する。

税金が高ければ、税率の低い国へ移る。規制が厳しければ、規制の少ない都市を選ぶ。福祉を重視する人は高負担の国を選び、自己責任を重視する人は低負担の国を選ぶ。

制度を一つに統一するのではなく、人々が自分に合った国家を選べるようにする。

理論上は、多様で自由な社会に見える。

しかし、国を移動できる能力は平等ではない。

複数の国で生活できる富裕層、投資家、高度技術者は、税制や規制に応じて居住地を変えられる。一方で、介護が必要な家族を抱える人、言語を学ぶ余裕のない人、移住資金のない人、病気や障害のある人は、簡単には移動できない。

富裕層と企業だけが税負担から退出すれば、残された国家では税収が減り、教育、医療、福祉、インフラの維持が困難になる。

「嫌なら出ていけばよい」という制度は、出ていける人にとっては自由だが、出ていけない人にとっては自己責任を強要する制度になり得る。

国家を選択できる自由を実現するには、退出の自由だけでなく、移動できない人の権利を守る仕組みも必要である。

 第9章 AIによる統治は政治家より公正なのか

国家の企業化をさらに進める可能性があるのがAIである。

税務、社会保障、許認可、都市計画、交通管理、犯罪予測などをAIが担えば、行政コストを削減し、人間の政治家や官僚による恣意的な判断を減らせるかもしれない。

デジタル通貨を利用すれば、徴税や給付も自動化できる。電子投票やオンライン行政が普及すれば、議会や役所のあり方も大きく変わるだろう。

しかし、AIは中立的な神ではない。

どの情報を利用し、何を公平と定義し、誰を支援対象とするのかは、人間が設計する。

AIが融資、採用、保険、福祉給付の可否を決めた場合、判断に納得できない人は誰に異議を申し立てればよいのか。

「AIが決めた」という説明だけで責任が回避されれば、政治家よりも変更することが難しい統治システムが生まれる。

選挙で選ばれた政治家は、少なくとも次の選挙で交代させられる。だが、巨大企業が所有する非公開のアルゴリズムは、市民が投票によって変更できない。

政治家の独断をなくすためにAIを導入した結果、誰にも責任を問えない統治が完成する可能性がある。

効率的な行政と民主的な統制は、どちらか一方を選ぶ問題ではない。

 結論 未来の国家で、私たちは国民なのか顧客なのか

企業国家、海上都市、ネットワーク国家といった構想を、単なる富裕層の夢物語として片付けるべきではない。

既存の民主主義国家が抱える問題は深刻である。

選挙のたびに短期的な政策が繰り返され、官僚組織は複雑化し、規制は技術革新に追い付かない。政治家、業界団体、官僚の間には既得権益が生まれ、国民が一票を投じても、何も変わらないという無力感が広がっている。

テクノ・リバタリアンの構想は、こうした国家の停滞に対する強烈な批判である。

異なる制度を実験し、国家間の競争を促し、行政を効率化するという発想には学ぶべき点がある。

一方で、国家を企業のように経営すれば、必ず自由になるとは限らない。

政府が後退した空間を、巨大IT企業、投資ファンド、不動産開発会社、暗号資産事業者、民間警備会社が支配する可能性がある。

公的権力が民間権力に置き換わっただけで、住民が意思決定に参加できなければ、自由が拡大したとはいえない。

国家と企業の最大の違いは、民主的な責任である。

民主主義国家では、建前の上では国民が主権者であり、政府を批判し、選挙で統治者を交代させることができる。

企業国家において、経営者を住民が解任できないのであれば、住民は主権者ではない。

優良なサービスを受ける顧客ではあっても、社会の方向を決める市民ではなくなる。

未来の国家に必要なのは、効率性を否定することでも、技術革新を恐れることでもない。

問われているのは、強大な権力を持つ者を誰が監視し、誰が交代させ、誰が責任を取らせるのかということである。

国家を企業に変えれば、私たちは自由な顧客になるのか。

それとも、経営者を選ぶことのできない巨大企業の利用者になるのか。

資本主義を加速させる前に、その問いに答えなければならない。

 参考・関連資料

池田信夫「資本主義を超える『加速主義』のユートピアは実現できるか」
https://note.com/ikedanob/n/n77baface28bc

シンガポールの経済(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Economy_of_Singapore

中央積立基金・CPF(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Central_Provident_Fund

テマセク・ホールディングス(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Temasek_Holdings

ピーター・ティール(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Peter_Thiel

パトリ・フリードマン(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Patri_Friedman

シーステディング研究所の沿革

バラジ・スリニヴァサン(Wikipedia)
https://en.wikipedia.org/wiki/Balaji_Srinivasan

『The Network State』公式サイト
https://thenetworkstate.com

【さくらフィナンシャルニュース  リンク集】

さくらフィナンシャルニュース
https://www.sakurafinancialnews.com

さくらフィナンシャルニュース YouTube
https://www.youtube.com/@sakurafinancialnews

さくらフィナンシャルニュース 公式X
https://twitter.com/sakurafina0123

さくらフィナンシャル公式note
https://note.com/sakurafina

関連記事

  1. 給食費を着服 約250万円 小学校の事務職員の男を懲戒免職 

  2. 【北朝鮮の兵士11,000人、ロシア軍に参戦 先鋭部隊は1,500人ウクライナで戦闘参加】

  3. クラリベイト引用栄誉賞(経済)シリーズ記事|トーマス・J・サージェント

  4. “環境にやさしい”のは本当か? 室谷悠子弁護士が語るメガソーラー開発の裏側

  5. 【堀井学衆議院議員が公選法違反疑い 略式起訴】

  6. TOBは「支配権を取る制度」なのか、「少数株主を守る制度」なのか        飯田秀総「公開買付規…

  7. 【司法の頽廃を撃つ】森まさこ元法務大臣に問われる政治責任            再審法を語るなら、ま…

  8. 封印された微小生命体 ― ソマチッドの謎と未来

コメント

  1. この記事へのコメントはありません。

  1. この記事へのトラックバックはありません。

CAPTCHA


PAGE TOP