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妖艶の人 美輪明宏 老衰 91歳 愛の表現者ヨイトマケの唄 毛皮のマリー 黒蜥蜴 三島由紀夫との交流 スピリチュアル

所属事務所が2026年6月28日に発表したところによると歌手で俳優の美輪明宏(みわ・あきひろ 本名丸山明宏=まるやま・あきひろ)さんが老衰のため6月20日に死去していたことがわかった。

享年91歳。

 

通夜、告別式は本人の意向で近親者だけで既に行われお別れの会やしのぶ会などは現在のところ行わないという。

 

一年前くらいから、高齢のため仕事をセーブし約3カ月前に体調を崩してからは自宅で静養をしていたという。

 

最期は眠るように静かに息を引き取ったと言うことだった(関係者のコメントより)。

 

公式サイトには

美輪さんが最期まで心配していたこと

 

「愛があれば戦争なんか起こりません」

反戦、平和への想い、

 

また

闇バイト、通り魔、SNSで他人を平気で傷つけたりする事件への懸念、偏見をなくし、すべての人が平和で安心して暮らしていける共存社会を実現したいと言ったメッセージが記されている。

 

告別式では本人が好きだった黄色いバラを祭壇に飾り、棺にもファンの手紙とともに納められたそう。黄色は彼のトレードマークの髪色でもあり、風水的な金運・富貴のイメージや「愛の色」として大切にしていたようだ。

 

 黄薔薇は、俳優界で「大根演技」(下手な演技の暗喩)として忌み嫌われる花とされることがある。だが、美輪さんは常に可哀想なもの、誤解されがちなものを優しく愛でてきた。だからこそ、黄色い薔薇は美輪さんに救われたのかもしれない――そんな解釈が浮かぶ。

 

 

美輪さんは1935年5月15日 長崎県長崎市に生を享け、のちに母親の実家の養子となる。 

母親の実家は市内で喫茶店などを経営する実業家だった。が、1945年長崎原爆に遭い家庭環境は180°変わった。

 

1951年、15歳のとき上京し、東京都国立市の国立音楽大学付属高校に入学するも、のち中退。

東京のモダンボーイ・モダンガールなどの戦後「モダニズム」文化に影響を受ける。

52年、東京・銀座のシャンソン喫茶「銀巴里」でプロ歌手としてデビューした。

 

当初は本名の「丸山明宏」で活動。当時から端正な顔立ちですぐさま人気を集める。

 

57年、フランス語のシャンソン曲「メケ・メケ」を自ら和訳してカバー。 レコードデビューを果たし、曲はその圧倒的な歌声、「♪メケ メケ‥ク■ンボ‥バカヤロー‥情なしのケチンボ‥」などという独創的な歌詞でヒット。

 

1965年、実在の親子の話を基に作詞・作曲した「ヨイトマケの唄」を発表。

 

6分近くに及ぶ大作「ヨイトマケの唄」その作詞作曲の裏話

ヨイトマケ(よいっ、と巻け)とは、昔の建築現場などで地固め(地盤を固める作業)をする際に、大勢で重い槌(つち)を滑車で吊り上げて落とす労働のこと、またはその作業をする人のこと。

大きくいうと、土方、土木建設の現場作業員のことを指す。1953年(昭和28年)に北海道苫小牧市の製菓会社三星の創業家3代目・小林正俊が考案したハスカップジャムを塗った日本一食べにくいロールケーキ、よいとまけもそのような意味から来ている。

 

♪今も聞こえる ヨイトマケの唄 今も聞こえる あの子守唄…

 

と、弱い立場の人々への敬意や母親への感謝の思いを切々と歌い、次第に大きな反響を呼び、のちに代表作と言われるようになる。

 

当時、シャンソン歌手として活動していた美輪さんは、興行主の手違いで福岡県筑豊(炭鉱町)の嘉穂劇場でコンサートをすることになったのだが、

 

いつもの客層ではない炭鉱労働者たちが安い賃金でチケットを買い、客席を埋め尽くす姿を見て衝撃を受け、

「これだけ私の歌を聴きたいのに、私には彼らに歌える歌がない」シャンソンで、モダンで都会をなぞった歌よりも、日本人の心により深く響く歌を、と感じ、労働者をテーマにした曲を作ろうと決意。

 

幼少期の友人(小学2年頃)の母親が建設現場(土方仕事)で働き、父や子のために懸命に頑張り、亡くなった姿、銀巴里(新宿のシャンソン喫茶)で出会った苦学しながらエンジニアになった青年の物語、などを詩に込める。

 

昭和35年(1960年)頃に作ったと言われ冒頭の「ヨイトマケ」の「お父ちゃんのためならエンヤコラ〜」掛け声が演歌調で土着っぽく、シャンソンやムード歌謡のイメージで売っていた美輪さんだけに最初は人前で歌うのをためらっていたが1964年(昭和39年)のリサイタルで初披露し、好評を得て1965年にテレビ(NETテレビ『木島則夫モーニングショー』)で歌ったところ大反響。 

 

「涙が止まらない‥」

異例のアンコール放送となり、シングル発売もされ大ヒットした。

 

第二次世界大戦後、「がむしゃらに働く母親」と「その中で育つ子」の姿を、日本の高度成長期に繋げる象徴としての歌謡曲となった。

「父ちゃんのためならエンヤコラ〜」

「エンヤコラ〜」というフレーズ自体は伝統的な掛け声だが、美輪さんの歌から、頑張るときの掛け声に定着していった。

 

ガロ系漫画家で個性派俳優の蛭子能収さんも何かにつけてこの唄が好きだと公言していた。

 

NHK紅白歌合戦には計4回出場。

2012年に「ヨイトマケの唄」、 

13年に「ふるさとの空の下で」、

14年に「愛の賛歌」、

15年に再び「ヨイトマケの唄」を披露した。

 

存在自体が魔術のような舞台人生 舞台俳優として妖艶に

美輪さんの舞台俳優としての存在感は、唯一無二の妖艶さと圧倒的なオーラに象徴される。

 

67年、歌人・劇作家の寺山修司さんが主宰する劇団「天井桟敷」旗揚げ公演から、その後も舞台「毛皮のマリー」三島由紀夫作品「黒蜥蜴」などに主演。何度も上演されてきた。

97年、舞台「双頭の鷲」の再演で読売演劇大賞優秀賞を受賞した。

 

美輪さん自身が「私が先駆けだったから、デヴィッド・ボウイが出てきても日本人は驚かなかった」

美輪さん自身が「私が先駆けだったから、デヴィッド・ボウイが出てきても日本人はさほど驚かなかったのよ」と振り返って語るように、日本において中性的なビジュアルやジェンダー表現の土壌を作った一人である。

 

1950年代後半から中性的な出で立ちで登場し、「シスターボーイ」と呼ばれて一大センセーションを巻き起こす。

 

当時はそんな表現が極めて珍しく、バッシングや差別も受けながら美貌と才能で人気を集めた。

 

舞台では『黒蜥蜴』で本格的な女装演技を披露し、妖艶な「現代劇の女形」を自称。

 

三島由紀夫が「天上界の美」と絶賛したほどの存在感

作家であり俳優の三島由紀夫との出会いは美輪さんが16歳の頃。

美輪さんは銀座のカフェで接客のアルバイトをしていた。そのカフェは著名人がよく訪れることで有名だった。

 

店中の人が三島さんに腰を低くして挨拶する中、16歳の美輪さんは大きな態度で接し、三島さんが「かわいくないやつだな」と言うと、美輪さんは「かわいくなくていいんです。キレイですから」と返した。

 

この大胆さが三島さんの心を揺さぶった。 以来10歳差を超えた長い友情が続く。

三島さんは美輪さんの美貌を「天上界の美」と絶賛し、『黒蜥蜴』の脚本を美輪のために書き下ろすなどし、美輪さんは舞台・映画で主演をつとめた。

 

三島「君の欠点は僕に惚れないことだよ」 

美輪「ごめんなさい私は完璧な人よりどこか可哀想な人が好きなの」 

三島「君と別れて雨の夜1人傘を差して帰る僕を可哀想だとは思わないのかい」

オフステージでは、このような丁々発止のような会話が2人の間で繰り広げられていたという。

 

1970年三島さんが「平和憲法(特に第9条)により魂のない経済だけの国になってしまったアメリカによるシビリアンコントロールに抵抗、天皇軍政を復活させる」と、いきなり市ヶ谷駐屯地に入りクーデーターを起こし自決した『三島事件』。

 

その約1週間前に、三島さんは約300本の赤いバラを抱えて美輪さんの楽屋を訪れたという有名な逸話がある。

 

「もう君の楽屋には来ないからね」

美輪は後年、この出来事を「別れを予感させるようだった」と振り返っている。

 

1971年、三島由紀夫さんの供養のための読経中に『美輪』の字が浮かび、美輪明宏と改名した。

 

当時2人の関係については?

三島さんが美輪さんに強い憧れや愛情を抱いていたことは、美輪さん本人の回想や関係者の証言から広く語られている。

 

しかし恋人同士という程ではなく、年齢も若かった美輪さんが、舐められないように互いに表現者で芸術の理解者として台頭な立場を保ちたいという意図があり三島さんに素っ気無い態度を取ってきたものではないかと推測されている。

 

美輪さんいわく三島さんは「彼は誤解を受けやすいが純粋で子供みたいな人」。美輪さんには見えていないだけで三島さんは、彼こそ孤独を抱えた可哀想な人だったのではないか、と後世において解釈される。

 

晩年を汚した賛否両論『スピリチュアルブーム』

「私は天草四郎の生まれ変わり」 

自身は天草四郎の生まれ変わりであると信じてジ・アルフィー高見沢俊彦さんとの対談では「天草四郎の生まれ変わりと言われて調べてみたら条件がぴったり合った」と語っている。

 

2005年から09年までテレビ朝日のトーク番組「国分太一・美輪明宏・江原啓之のオーラの泉」に出演し、スピリチュアルブームの火つけ役を担った。のち江原啓之氏に対する懐疑的な見方が強まる。

また中学生が番組の霊界話に影響されて自殺した事件との関連が指摘される。

2006年12月9日、埼玉県川越市通町の11階建てマンションの敷地内で、このマンションに住む同市立中2年の男子生徒(14)が倒れているのを主婦(50)が発見し通報した。

 

この事件は、霊界の話を紹介するテレビ番組を中学生が家族と見たことに触れて

「絶対におれは生まれ変わる。もっとできる人間になってくる。家族のみんな忘れないでいて。必ず会いに来る。ホントにゴメン サヨナラ」

と書かれていた。これをきっかけにスピリチュアルブーム批判の機運が徐々に高まっていった。

3年後番組は終了したが美輪さん自身もポロリ「みんな職業でやってる」とインチキ霊能者を批判する一方で、自分もその文脈にいた点が矛盾指摘の対象になっていたのも事実ゆえバッシングにあった。

 

『天草四郎で自分の名を世間に売ったのか?』

と、のち天草四郎が実在する人物であったのかが信憑性が薄まるとこれもSNSで叩かれた。 

 

長年寄り添った付き人兼俳優を養子に迎えて事務所社長に

美輪さんは今から約半世紀ほど前、当時17才で文学座の研究生だった藤堂貴也さんを役者として育てながら、自身の付き人として自宅に同居させていた。藤堂さんは1978年25歳でNHK大河ドラマ『黄金の日日』で 大野治長(おおの はるなが) 役を演じた。

 

その後、美輪さんは藤堂さんを養子とし、現在藤堂さんは『株式会社オフィスミワ』の社長に就任。1982年渡辺えりさんの舞台作品『ゲゲゲのげ 〜逢魔が時に揺れるブランコ〜』(劇団3〇〇時代、1982年初演、岸田國士戯曲賞受賞作)に、藤堂さんも出演しているが、そこで渡辺さんが藤堂さんに惚れ込み過ぎてストーカー気質になるなどのゴシップがポストセブンで紹介されている。

 

人生経験豊富から悩み相談にも

スポニチ本紙でコラム「明るい明日を」(2008年~11年、第18回スポニチ文化芸術大賞グランプリ受賞)などを長年にわたって連載。

2020年から25年までNHK・Eテレ「美輪明宏 愛のモヤモヤ相談室」に出演。豊かな人生経験を基に一般の人々の悩みに答えた。

 

25年5月30日の放送では、司会の高瀬耕造アナウンサーから90歳の誕生日を祝われ、喜ぶ元気な姿を見せていた。

 

美輪さんの人生は、差別や批判でバッシングを受けながらも、美貌と才能と信念と愛で我が表現力を貫いた20世紀最強の芸術家(パフォーミングアーティスト)であった。天草四郎の出現とは本当は美輪さんの事であるという見方も歴史文化的な読み方としては成り立つ。

 

ヨイトマケの唄

https://youtu.be/8xc4bLDsH5c?si=Ub0Z3IQBjR95dMAq

 

美輪明宏 公式サイト

https://o-miwa.co.jp/

 

NHK高瀬耕造アナ「美輪さん、折しも90歳のお誕生日ということで」 – サンスポ から

https://www.sanspo.com/article/20250531-PKVOZZ7QXVDV3KUH77M7NLI2JE/ @SANSPOCOM

 

美輪明宏の養子 実は渡辺えりの「ご寵愛」受けた俳優だった

https://www.news-postseven.com/archives/20130201_169368.html?DETAIL

 

美輪明宏の息子藤堂貴也は元イケメン俳優 現在は事務所の社長

https://lifenews-media.com/miwaakihiro-musuko/

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