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【追悼・利根川進氏】「面白いことをやれ」を貫いた科学者ーー免疫と記憶、二つの世界で常識を変えた86年                       

人間は、なぜ未知の病原体から身を守ることができるのか。

そして、なぜ過去の出来事を記憶し、思い出すことができるのか。

利根川進氏が生涯をかけて挑んだのは、生命と人間の根幹に関わる二つの謎だった。

1987年、日本人として初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した利根川氏が、2026年7月11日、86歳で亡くなった。

ノーベル賞の受賞理由となったのは、「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」である。

私たちの体内では、ウイルスや細菌など、数え切れないほど多様な異物に対応する抗体が作られる。しかし、人間が持つ遺伝子の数には限りがある。

限られた遺伝情報から、なぜ膨大な種類の抗体を生み出すことができるのか。

利根川氏は、抗体を作る免疫細胞の中で、遺伝子の断片が組み替えられていることを証明した。遺伝子は生まれた時から固定され、体中の細胞で変わらないものだと考えられていた時代に、その常識を覆す発見だった。

しかし、利根川氏の研究人生は、ノーベル賞で終わらなかった。

免疫学の世界で頂点を極めた後、今度は脳科学へと研究分野を変え、「記憶とは何か」という新たな謎に挑んだ。

成功した場所にとどまらず、まだ答えのない世界へ向かう。

その姿勢こそが、利根川進という科学者の本質だった。

 日本人初のノーベル生理学・医学賞

利根川進氏は1939年9月5日、愛知県名古屋市に生まれた。

京都大学理学部に進み、1963年に卒業した。当時、生命現象を遺伝子や分子のレベルで理解しようとする分子生物学は、急速に発展し始めた新しい研究分野だった。

利根川氏は、本格的に分子生物学を学ぶため米国へ渡り、カリフォルニア大学サンディエゴ校で研究を続け、1968年に博士号を取得した。

その後、米国のソーク研究所を経て、スイスのバーゼル免疫学研究所に移った。

この研究所で利根川氏が出会ったのが、「抗体の多様性」という免疫学上の大問題だった。

人間の体には、外部から侵入してくる異物を見分け、攻撃する免疫の仕組みがある。その中心的な役割を果たすのが抗体である。

抗体は、特定のウイルスや細菌などに結合する。しばしば鍵と鍵穴の関係に例えられるように、異物の形が異なれば、それに対応する抗体も異なる。

人間は、過去に遭遇したことのない病原体に対しても、適切な抗体を作る能力を持っている。

一方で、当時の科学者たちを悩ませていた疑問があった。

抗体には非常に多くの種類があるのに、なぜそれを作るための遺伝子を、人間は限られた数しか持っていないのか。

仮に抗体一種類につき一つの遺伝子が必要であれば、人間は途方もない数の抗体遺伝子を持っていなければならない。

しかし、実際にはそうではなかった。

利根川氏は、免疫細胞が成熟する過程で、抗体の設計図となる複数の遺伝子断片が選択され、組み替えられることを明らかにした。

いわば、限られた部品をさまざまに組み合わせることによって、膨大な種類の抗体を作り出していたのである。

この発見により、利根川氏は1984年に文化勲章を受章。1987年には「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」により、ノーベル生理学・医学賞を単独で受賞した。

日本人としては初めての同賞受賞だった。

 遺伝子は「変わらない」という常識を覆した

利根川氏の研究の意義は、抗体が作られる仕組みを説明したことだけではない。

当時、同じ人間の体を構成する細胞には、原則として同じ遺伝情報が入っており、その情報は変化しないと考えられていた。

皮膚の細胞も、肝臓の細胞も、神経の細胞も、基本的には同一の遺伝子を持っている。それぞれの細胞が異なる働きをするのは、使われる遺伝子が異なるからだという理解である。

ところが利根川氏は、抗体を作るB細胞では、遺伝子そのものの配置が変化していることを示した。

生殖による遺伝子の組み合わせとは別に、一人の人間の体内にある免疫細胞の中で、遺伝子断片の組み替えが起こる。

その結果、一人の人間の中に、異なる抗体を作る無数のB細胞が生まれる。

これは、遺伝子を固定された設計図として見る従来の生命観に、大きな修正を迫るものだった。

現在では、この仕組みはV(D)J再構成などと呼ばれ、免疫学の基本的な原理として教科書にも掲載されている。

しかし、完成した教科書を読むだけでは、発見以前にそれがどれほど大きな謎だったかは分かりにくい。

科学史を振り返れば、後から見れば当然に思える仕組みも、発見されるまでは誰にも見えていない。

利根川氏が解明したのは、私たちの体が未知の感染症に対応できる根本的な理由だった。

その成果は、感染症、免疫異常、がん、抗体医薬など、現代医学の幅広い領域を理解する基盤となった。

日本を離れ、世界で研究した意味

利根川氏の経歴は、日本の科学研究を考えるうえでも重要な意味を持つ。

京都大学を卒業した後、利根川氏は米国へ渡り、さらにスイスへと研究の場を移した。

もちろん、当時は分子生物学そのものが新しい分野であり、欧米に有力な研究拠点が集まっていたという事情がある。

海外に出たことを、単純に「日本では評価されなかった」と表現するのは正確ではない。

それでも、世界的な研究成果がどのような環境から生まれたのかを考える必要はある。

バーゼル免疫学研究所では、研究者に大きな自由が与えられ、年齢や過去の実績だけに縛られず研究に取り組めたという。

利根川氏自身、当初は免疫学の専門家ではなかった。

免疫学の知識が十分になかったからこそ、従来の免疫学者とは異なる分子生物学の方法を持ち込み、長年解けなかった問題に挑戦することができた。

専門分野の境界を越え、異なる知識や技術を組み合わせる。

そして、すぐに成果が出るか分からない問題に時間を使う。

そのような研究を可能にしたのは、本人の能力だけではない。研究者の自由を認め、挑戦と失敗を受け入れる環境があったからでもある。

 ノーベル賞の後に、免疫学を離れる

1987年にノーベル賞を受賞した時、利根川氏は48歳だった。

通常であれば、その後も受賞分野で研究を続け、免疫学の世界的権威として地位を確立する道が考えられる。

実際、抗体や免疫の研究には、まだ多くの未解決問題があった。

ところが利根川氏は、ノーベル賞受賞後、研究の中心を免疫学から脳科学へ移していった。

すでに大きな実績を持つ分野を離れ、再び未知の領域へ入ることは、大きな危険を伴う。

新しい分野では、それまでに築いた知識や人脈がそのまま通用するとは限らない。期待された成果を出せなければ、「ノーベル賞学者が別分野に手を出して失敗した」と批判される可能性もある。

それでも利根川氏は、より面白いと感じる問題を追った。

脳はどのように学習するのか。

経験はどのように記憶として保存されるのか。

保存された記憶は、どのような仕組みで呼び起こされるのか。

そして「心」と呼ばれてきたものは、脳内の物質的な変化として解明できるのか。

利根川氏は、免疫学で得た成功に安住せず、人間に残された最大の謎の一つへ向かった。

 記憶はどこに存在するのか

脳科学へ転じた利根川氏は、遺伝子操作技術を使って、学習や記憶に関わる神経回路を研究した。

とりわけ注目されたのが、記憶を担う神経細胞群、いわゆる「エングラム細胞」の研究である。

私たちがある出来事を経験した時、その記憶は脳のどこに、どのような形で保存されるのか。

古くから、記憶には脳内に何らかの物理的な痕跡が残ると考えられ、その痕跡は「エングラム」と呼ばれていた。

しかし、具体的にどの細胞が一つの記憶を担い、その細胞を刺激すれば記憶を呼び起こせるのかを実験的に示すことは難しかった。

利根川氏らの研究チームは、マウスがある環境を経験した時に活動した神経細胞を特定し、その細胞群に光への反応性を持たせる方法を用いた。

その後、光を使って特定の細胞群を刺激したところ、マウスは過去の経験を思い出した時のような反応を示した。

これにより、特定の記憶が特定の神経細胞ネットワークに存在し、その細胞を人工的に刺激することで記憶を呼び起こせることが示された。

利根川氏は、この成果について、記憶の想起という心の現象が、物質的な変化に基づくことを実験によって示したものだと説明した。

哲学や心理学の領域で長く論じられてきた「心」の問題に、自然科学の側から迫ったのである。

 記憶は失われるのか、それとも取り出せなくなるのか

利根川氏らの研究は、記憶障害の理解にも新たな可能性を提示した。

一般に、記憶喪失が起きた場合、記憶そのものが脳から消えてしまったと考えられがちである。

しかし、一部の研究では、記憶は完全に消失しているのではなく、通常の方法では取り出せなくなっている可能性が示された。

マウスを使った実験では、通常の刺激では思い出せなくなった記憶でも、その記憶を担うと考えられる神経細胞を直接刺激することで、過去の反応が再び現れる場合があった。

これは、少なくとも一部の記憶障害について、「記憶の保存」と「記憶の呼び出し」を分けて考える必要があることを示している。

将来、この仕組みの理解が進めば、認知症や脳損傷、心的外傷などに伴う記憶障害の治療研究につながる可能性がある。

一方で、記憶を人工的に呼び起こしたり、異なる感情と結び付けたりする技術は、重大な倫理的問題も伴う。

記憶は、その人の人格や人生そのものと深く結び付いている。

苦しい記憶を弱めることは治療になるかもしれない。しかし、人為的に記憶へ介入することが、本人の同一性をどこまで変えてしまうのかという問題もある。

利根川氏の研究は、医学的な希望を開くと同時に、人間とは何かという新たな問いを私たちに突き付けた。

日本の脳科学を世界へつないだ指導者

利根川氏は、個人の研究だけでなく、研究組織の運営や若手研究者の育成にも関わった。

2009年4月から2017年6月まで、理化学研究所脳科学総合研究センターの第3代センター長を務めた。

免疫学でノーベル賞を受賞した後に脳科学へ進み、さらに日本の脳科学研究を世界の研究機関と結び付ける役割を担った。

理化学研究所は追悼文の中で、利根川氏が8年以上にわたってセンター長を務め、日本の脳科学を世界のトップレベルへ牽引したと功績をたたえている。

研究者は、一人で研究を完成させるわけではない。

優れた学生や研究員、技術者が集まり、自由に議論できる環境が必要である。長期的な研究費と設備がなければ、大きな問題に挑戦することはできない。

利根川氏の功績を「一人の天才の物語」だけで終わらせれば、科学が生まれる本当の条件を見失う。

優れた個人が力を発揮するためには、挑戦を許容する組織と、研究を長期的に支える社会が必要である。

 山中伸弥氏の研究人生を支えた言葉

利根川氏の死去を受け、京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥名誉所長・教授も追悼のコメントを発表した。

山中氏は2003年、利根川氏の講演を聞いた際、自分が研究テーマを何度も変えてきたことに悩んでいると相談したという。

これに対し、利根川氏は、一貫性にこだわるよりも、研究者は自分が面白いと思うことに取り組むべきだという趣旨の言葉をかけた。

その言葉が、その後の山中氏の研究人生を支え、iPS細胞の開発へ進む大きな力になったとされる。

一つのテーマを長く続けることは大切である。

しかし、続けること自体が目的になれば、研究は過去の延長線上から出られなくなる。

利根川氏が重視したのは、形式的な継続性ではなく、その研究が最終的に何を明らかにし、社会や科学にどのように貢献したかだった。

免疫学から脳科学へ進んだ利根川氏自身が、その考えを最も強く体現していた。

 利根川氏が日本の科学に遺した問い

利根川氏の死を悼む時、私たちは受賞歴や研究成果を振り返るだけでよいのだろうか。

利根川氏は、日本人として初めてノーベル生理学・医学賞を受賞した。

しかし、その歴史的発見の中心となった研究は、主にスイスや米国で行われた。

ここには、現在の日本にも通じる問題がある。

短期間で成果を求める研究費制度。

任期付き雇用に置かれ、将来の見通しを持てない若手研究者。

研究よりも申請書や報告書の作成に時間を取られる環境。

失敗を恐れ、確実に結果の出そうなテーマへ研究者を誘導する評価制度。

すぐに事業化できる研究を優先し、基礎研究を後回しにする政策。

ノーベル賞につながるような発見は、最初から価値が保証された研究から生まれるとは限らない。

「何の役に立つのか」と問われても、すぐには答えられない研究がある。

利根川氏が挑んだ抗体の多様性も、記憶の物質的基盤も、人間の根本に関わる問題でありながら、着手時点で将来の実用化が約束されていたわけではない。

研究者の好奇心から始まった探究が、何十年もの時間を経て、医学や社会に大きな影響を与える。

基礎科学を支えるとは、その不確実性を社会が引き受けることでもある。

 「研究者の天国」は与えられるものではない

理化学研究所に残された利根川氏のメッセージには、研究者は社会に支えられている以上、社会に対して責任を負っているという考えが示されている。

同時に、研究者には、与えられた道を安易に歩むのではなく、好奇心を忘れず、新しい冒険へ乗り出してほしいと呼びかけていた。

利根川氏は、研究者にとって理想的な環境は、誰かから与えられるものではなく、研究者自身が作り出すものだとも考えていた。

これは、研究費を削減しても研究者の努力だけで乗り越えられるという意味ではない。

制度や組織に問題がある中でも、研究者が初心と好奇心を失えば、新しい科学は生まれないという厳しい自戒だったのだろう。

研究者個人の情熱と、それを支える社会制度。

どちらか一方だけでは科学は発展しない。

日本が本当に科学技術立国を目指すのであれば、過去のノーベル賞受賞者を称賛するだけでは足りない。

次の世代が、失敗を恐れず未知の問題に挑戦できる環境を作らなければならない。

 記憶を研究した科学者を、私たちはどう記憶するのか

利根川進氏が研究したのは、人間が異物から身を守る仕組みであり、人間が経験を記憶する仕組みだった。

免疫学では、限られた遺伝子から無数の抗体を生み出す生命の仕組みを明らかにした。

脳科学では、記憶が特定の神経細胞群と結び付き、物質的な仕組みによって保存され、呼び起こされることを示した。

そして研究者としては、成功した分野に安住せず、自分が面白いと思う問題に挑み続けた。

利根川氏が遺したものは、ノーベル賞という栄誉だけではない。

常識は、疑うことができる。

専門分野の境界は、越えることができる。

未知の問題には、危険を承知で挑まなければならない。

そして科学は、短期的な利益だけでなく、人間と世界を理解したいという好奇心によって前へ進む。

一人の偉大な科学者が亡くなったことを悼むだけで、追悼を終わらせてはならない。

利根川氏が切り開いた扉の先へ、次の世代が進める社会を作れるのか。

研究者に自由を与え、失敗を認め、長い時間をかけて基礎研究を支える覚悟を持てるのか。

利根川進氏が日本社会に遺した最大の問いは、そこにあるのかもしれない。

免疫と記憶という、生命の二つの謎に挑んだ86年。

その生涯と功績に、心から哀悼の意を表したい。

 関連URL・参考資料

・毎日新聞

「ノーベル生理学・医学賞受賞者、利根川進さん死去」
https://mainichi.jp/articles/20260716/k00/00m/040/009000c

・利根川進―Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/利根川進

・京都大学

「利根川進 京都大学名誉博士が逝去されました」
https://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news/2026-07-16

・京都大学iPS細胞研究所

「利根川進先生のご逝去に際した山中伸弥名誉所長・教授の追悼コメント」
https://www.cira.kyoto-u.ac.jp/j/pressrelease/other/260716-100000.html

・理化学研究所

「利根川進 元脳科学総合研究センター長の訃報に接して」
https://www.riken.jp/pr/news/2026/20260716_1/index.html

・理化学研究所

「記憶が特定の脳神経細胞のネットワークに存在することを証明」
https://www.riken.jp/press/2012/20120323

・理化学研究所 脳神経科学研究センター

「先達からのメッセージ・利根川進」
https://cbs.riken.jp/jp/researchers/directors.html

・日本学術会議

「利根川先生と抗体遺伝子」
https://www.scj.go.jp/omoshiro/nobel/tanaka/tonegawa.html

・JT生命誌研究館

「生命を分子の言葉で語るために―利根川進」
https://brh.co.jp/s_library/interview/79

・ノーベル賞公式サイト
「The Nobel Prize in Physiology or Medicine 1987」
https://www.nobelprize.org/prizes/medicine/1987/summary

【さくらフィナンシャルニュース  リンク集】

さくらフィナンシャルニュース
https://www.sakurafinancialnews.com

さくらフィナンシャルニュース YouTube
https://www.youtube.com/@sakurafinancialnews

さくらフィナンシャルニュース 公式X
https://twitter.com/sakurafina0123

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https://note.com/sakurafina

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