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【さくらフィナンシャル解説】西絢宏という社会疫学者                「人間のつながり」は、健康・格差・幸福をどう変えるのか

現代社会の問題を考えるとき、私たちはつい「個人の努力」や「自己責任」という言葉に引き寄せられがちです。健康でいられるか、幸福を感じられるか、経済的に成功できるか。それらは本人の能力、意思、生活習慣によって決まる――そう考えたくなる。

しかし、UCLA Fielding School of Public Healthで疫学のAssociate Professorを務める西絢宏氏の研究は、その見方に大きな問いを投げかけています。西氏の研究が示しているのは、人間の行動や健康、幸福、さらには格差までもが、個人の内面だけでなく、「人と人がどのようにつながっているか」「他人の情報がどのように見えるか」「社会ネットワークがどのように設計されているか」によって大きく変わるという事実です。UCLAの公式プロフィールでも、西氏の主要研究領域には、疫学、AI・機械学習、データサイエンス、感染症、メンタルヘルス、健康の社会的決定要因などが並んでいます。

西氏は東京大学医学部で医学を学び、ハーバード大学で公衆衛生学博士号を取得。その後、ハーバード大学およびイェール大学のHuman Nature Labで、ニコラス・クリスタキス教授らとともに研究を重ねました。Human Nature Labの紹介によれば、西氏は2012〜2013年に博士課程学生、2013〜2015年にポストドクトラル・フェロー、2015〜2016年にAssociate Research Scientistとして同ラボに在籍し、現在はUCLA公衆衛生大学院の疫学准教授として、社会疫学、ネットワーク科学、進化生物学、オンライン社会ネットワークにおける人間行動を研究しています。

西氏の研究を一言で表すなら、「社会の構造を変えれば、人間の行動も健康も変わる」という科学です。これは単なる理念ではありません。オンライン実験、数理モデル、準実験、エージェント・ベース・シミュレーションなどを駆使し、社会の見え方やネットワークの構造が、協力、不平等、感染症、幸福度にどのような影響を与えるかを実証している点に大きな特徴があります。

第一の代表的業績は、2015年に『Nature』に掲載された「Inequality and visibility of wealth in experimental social networks」です。この論文は、西氏、白土寛和氏、David G. Rand氏、Nicholas A. Christakis氏による共同研究で、実験的な社会ネットワークの中で、富の不平等とその可視性が人間の協力行動にどのような影響を及ぼすかを検証しました。『Nature』の掲載情報では、同論文は2015年9月に公開され、Nature 526巻426〜429頁に掲載されています。

この研究の核心は、「格差そのもの」だけでなく、「格差が見えること」が人間の行動を変えるという点にあります。オンライン上に構築された仮想社会ネットワークの中で、参加者は互いに協力するか、自分の利益を優先するかを選びます。そのとき、他人の資産状況が見える場合と見えない場合で、社会全体の協力関係や格差の拡大がどう変わるのかを比較したのです。

結果は示唆的でした。富が見える環境では、他人との比較が強まり、協力関係が崩れやすくなり、格差が拡大する。一方で、富が見えない環境では、協力が維持されやすく、格差の拡大も抑えられる。これは、現代のSNS社会に対する強い警告でもあります。高級車、タワーマンション、ブランド品、海外旅行、成功者の華やかな生活。そうした「見える富」は、単に羨望を生むだけではなく、社会全体の協力関係や心理的安定を損なう可能性があるのです。

この問題意識は、2023年の『Nature Mental Health』論文へと発展します。Nature Mental Healthの紹介によれば、「Status invisibility alleviates the economic gradient in happiness in social network experiments」は、オンライン実験と公共財ゲームを用い、富の可視性を操作することで、富が見えない状態が主観的幸福度を高め、とくに経済的に不利な参加者の幸福度を改善し、幸福度の経済的勾配を縮小することを示した研究です。

この研究が重要なのは、メンタルヘルスの問題を「個人の心の弱さ」としてではなく、「社会的比較の設計」の問題として捉えている点です。SNSで他人の成功や豊かさが過剰に見える環境は、貧しい人や不利な立場にいる人の幸福感を下げる可能性があります。逆に、他人のステータスや富をあえて見えにくくすることで、幸福度の不平等を緩和できるかもしれない。これは、プラットフォーム設計、教育現場、職場制度、地域コミュニティのあり方にまで波及する論点です。

第二の大きな業績は、感染症対策におけるネットワーク介入です。2020年、西氏らは『PNAS』に「Network interventions for managing the COVID-19 pandemic and sustaining economy」を発表しました。UCLAの公式業績一覧でも、この論文はPNAS 2020年、117巻30285〜30294頁として掲載されています。

コロナ禍において、多くの国はロックダウン、外出制限、営業停止といった強力な政策を採用しました。しかし、それは感染拡大を抑える一方で、経済活動や社会生活に甚大なダメージを与えます。西氏らの研究は、そこに「社会ネットワークの分割」という別の発想を持ち込みました。完全に社会を止めるのではなく、人々の接触ネットワークをグループに分けたり、接触の偏りを調整したりすることで、感染拡大を抑えながら経済活動を一定程度維持できないか、という問題設定です。

PNAS論文の要旨によれば、同研究はエージェント・ベース・シミュレーションを用い、社会集団を分割したりバランスを取ったりするネットワーク介入が、感染リスクを大きく減らし得ることを示しています。 ここで重要なのは、感染症対策を「個人にマスクをさせる」「個人に自粛を求める」というだけでなく、「誰と誰が接触する社会構造をどう設計するか」というレベルで考えている点です。

これは公衆衛生政策における大きな転換です。従来の感染症対策は、ワクチン、薬、隔離、検査といった医学的・行政的手段に重点が置かれてきました。もちろんそれらは不可欠です。しかし西氏の研究は、そこに「ネットワーク設計」という新しい層を加えます。学校、職場、交通、イベント、地域社会を、感染が広がりにくい形に組み替える。つまり、社会のつながり方そのものを公衆衛生の対象にするのです。

第三の柱は、日本の医療・公衆衛生政策に関する実証研究です。西氏は理論研究だけでなく、日本の制度や医療データを用いた政策評価にも関わっています。UCLAの業績一覧には、日本の介護保険政策に関する『The Lancet』2011年論文「Population ageing and wellbeing: lessons from Japan’s long-term care insurance policy」も掲載されています。

さらに注目すべきは、抗菌薬の不適切処方を減らすための政策評価です。2022年にInternational Journal of Epidemiologyに掲載された「The consequence of financial incentives for not prescribing antibiotics: a Japan’s nationwide quasi-experiment」では、日本の小児外来における抗菌薬処方を対象に、抗菌薬を処方しなかった医療機関に対する小さな診療報酬上のインセンティブが、実際に処方行動を変えたかを検証しました。

この研究は、10,180施設、553,138人の小児を対象とした大規模な全国データを用いた準実験です。結果として、制度導入は抗菌薬処方を17.8%減少させた一方で、時間外受診や入院の増加といった有害な医療利用の増加とは関連しなかったと報告されています。

これは非常に重要です。医療現場では、「抗生物質を出してほしい」という患者側の期待や、「念のため出しておこう」という医師側の判断が重なり、不必要な抗菌薬処方が生じやすい。しかし抗菌薬の過剰使用は、薬剤耐性菌という世界的な公衆衛生リスクにつながります。西氏らの研究は、医師個人の倫理観に頼るだけでなく、制度設計によって処方行動を変えられる可能性を示しました。しかも、そのインセンティブは1件あたり800円程度という小さな金額でした。小さな制度変更が、全国規模の医療行動を変える。ここにも、西氏の研究に一貫する「構造が行動を変える」という視点があります。

第四の柱は、社会疫学と進化生物学の融合です。UCLAの公式業績一覧には、西氏の2015年論文「Evolution and social epidemiology」も掲載されています。 社会疫学は、所得、教育、職業、人間関係、地域環境などが健康にどう影響するかを調べる学問です。一方、進化生物学は、人間の行動や身体の仕組みを、長い進化の歴史の中で理解しようとします。西氏はこの二つを接続し、人間の社会的行動、協力、競争、比較、感染症の広がりを、より大きな枠組みで捉えようとしています。

ここで見えてくるのは、医学の拡張です。病気は、身体の中だけで起きるものではありません。孤立、格差、過剰な比較、不安定な人間関係、社会的排除、感染しやすい接触構造――こうした社会の条件もまた、健康を左右します。西氏の研究は、医師としての医学的背景を持ちながら、医学を診察室の外へ広げていると言えます。

さくらフィナンシャルとして特に注目したいのは、西氏の研究が、経済・金融・社会制度を考える上でも大きな示唆を持つ点です。富の可視化が格差と協力関係に影響するという研究は、単なる心理学ではありません。それは、格差社会における市場、職場、SNS、教育、消費文化の設計に関わる問題です。人々に過剰な比較を強いる社会は、協力を壊し、幸福度を下げ、格差を固定化する可能性がある。逆に、比較を抑え、協力を促す制度設計は、社会全体の厚生を高める可能性がある。

また、コロナ禍のネットワーク介入研究は、危機管理と経済活動の両立を考える上で重要です。感染症対策を「自由か規制か」「経済か命か」という二項対立で考えるのではなく、ネットワーク構造を工夫することで、両者のバランスを取る。これは、政策立案において極めて現代的な発想です。

西絢宏氏の研究は、派手なスローガンではなく、緻密な実験とデータによって、社会の見えない力学を明らかにしているところに価値があります。人間は孤立した個人ではありません。誰とつながり、何が見え、何が見えないかによって、私たちの行動も、健康も、幸福も変わる。

格差、感染症、メンタルヘルス、医療政策。これらは一見別々の問題に見えます。しかし西氏の研究を通して見ると、そこには共通する問いがあります。

社会の構造は、人間をどう変えるのか。

そして、社会の構造を変えることで、人間をより健康に、より幸福に、より協力的にできるのか。

西絢宏氏の仕事は、その問いに対して、現代科学の最前線から答えようとする試みです。医学、経済学、社会学、進化生物学、データサイエンスを横断するその研究は、これからの日本社会が格差、孤立、高齢化、医療費、感染症リスクと向き合ううえで、きわめて重要な知的資源になるはずです。

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