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【ポルトガル経済学の実力者③】ルイス・カブラル                  企業はなぜ競争し、独占し、評判を築くのか                               産業組織論を経営戦略につないだ世界的研究者

「競争が激しくなれば、価格は下がり、消費者にとって良い市場になる」

経済学では、しばしばそのように説明される。

しかし、現実の企業競争は、それほど単純ではない。

価格を下げれば必ず勝てるわけではない。企業は商品の品質、ブランド、技術、広告、販売網、顧客データ、知的財産、さらには利用者同士をつなぐプラットフォームまで使いながら、競争相手より有利な地位を築こうとする。

ある企業は競争を通じて成長する一方、別の企業は市場から退出する。新しい技術を持った企業が既存企業を倒すこともあれば、巨大企業がその資金力や顧客基盤を利用し、新規参入者を封じ込めることもある。

こうした企業間競争の現実を、理論と実証の両面から分析してきたポルトガル出身の経済学者が、ルイス・カブラルである。

カブラルは、ニューヨーク大学スターン経営大学院の経済学・国際ビジネス教授として、企業競争、イノベーション、評判、プラットフォーム、独占禁止政策などを研究してきた。

彼の専門である「産業組織論」は、企業がどのように競争し、市場がどのような構造を持ち、その結果として価格や品質、技術革新、消費者利益がどう変化するのかを考える経済学の分野である。

カブラルの研究が重要なのは、産業組織論を単なる抽象的な価格理論にとどめず、現実の企業経営や競争政策につながる学問として示した点にある。

 ポルトガルからスタンフォード大学へ

ルイス・カブラルは、1961年にポルトガルのリスボンで生まれた。

ポルトガル・カトリック大学で経済学を学んだ後、ノヴァ・デ・リスボン大学で修士号を取得。さらにアメリカへ渡り、1989年にスタンフォード大学で経済学博士号を取得した。

博士課程で指導を受けたのは、後にオークション理論への貢献によってノーベル経済学賞を受賞するポール・ミルグロムである。

ゲーム理論や情報の経済学が急速に発展していた時代に、カブラルは世界最高水準の研究環境で、企業の戦略的行動を分析する方法を身につけた。

その後、ポルトガルのノヴァ大学、ロンドン・ビジネス・スクールなどで教え、カリフォルニア大学バークレー校、イェール大学、スペインのIESEビジネススクールなどでも研究・教育に携わった。

2000年にはニューヨーク大学スターン経営大学院に加わり、現在は同大学院のPaganelli-Bull Professor of Economics and International Businessを務めている。

ポルトガルで教育を受け、アメリカで最先端の経済学を学び、ヨーロッパとアメリカの双方で研究を続けてきた経歴は、カブラルの研究の国際性を象徴している。

産業組織論とは何を研究する学問なのか

産業組織論という名称は、一般には少し分かりにくい。

簡単にいえば、「企業が競争する市場の仕組み」を研究する経済学である。

例えば、ある市場に多数の企業が存在する場合と、数社の巨大企業しか存在しない場合とでは、価格やサービス、技術革新のあり方は大きく異なる。

一社だけが市場を支配する独占市場では、その企業は高い価格を設定しやすくなる。一方、企業の数が多すぎる市場では、過度な価格競争によって研究開発や設備投資の余力が失われる場合もある。

企業は価格だけで競争しているわけではない。

他社とは異なる商品を作る「製品差別化」、大量生産によって平均費用を下げる「規模の経済」、顧客を自社のサービスに囲い込む「スイッチングコスト」、利用者が増えるほどサービスの価値が高まる「ネットワーク効果」など、さまざまな手段を使う。

産業組織論は、こうした企業の行動をゲーム理論などによって分析する。

重要なのは、一社の判断が、その企業だけで完結しないことである。

ある企業が価格を下げれば、競争相手も価格を下げるかもしれない。新製品を発売すれば、他社が似た商品を投入する可能性がある。企業買収を行えば、市場全体の競争構造が変わることもある。

つまり企業は、競争相手がどのように反応するかを予測しながら行動する。

カブラルの研究は、この「企業同士の読み合い」を理論的に整理し、現実の市場で何が起きているのかを明らかにするものである。

 世界で読まれる『Introduction to Industrial Organization』

カブラルの名を世界的に知らしめた著作が、『Introduction to Industrial Organization』である。

MITプレスから刊行されたこの教科書は、産業組織論の基本的な考え方を、理論的な厳密さを保ちながら、分かりやすく説明したものだ。

産業組織論の教科書は、ゲーム理論や数理モデルを多用するため、初学者にとって難解になりやすい。

しかし、カブラルの教科書は、数式そのものを目的とするのではなく、数式を使って現実の企業競争を理解することに重点を置いている。

市場支配力はどこから生まれるのか。

企業はなぜ価格競争を避けようとするのか。

広告にはどのような経済的意味があるのか。

企業の参入や退出は、どのように決まるのか。

研究開発競争は、社会にとって望ましい結果をもたらすのか。

合併や買収は、効率性を高めるのか、それとも競争を弱めるのか。

こうした問題を、理論と具体例を結びつけながら説明している。

このため、経済学部の学生だけでなく、MBA、経営学、公共政策、競争法を学ぶ人々にとっても有用な教科書となった。

カブラルの教科書が高く評価されている理由は、産業組織論を「独占を批判するだけの学問」として扱っていないことにもある。

巨大企業だから悪い、小規模企業だから良い、と単純に判断するのではない。

企業規模が拡大することで生産費用が下がり、消費者が安価なサービスを利用できる場合もある。大規模な顧客基盤やデータが、新たな技術開発を可能にすることもある。

その一方で、規模の優位性が新規参入を阻み、競争を失わせる危険もある。

企業の大きさそのものではなく、その企業がどのように市場支配力を獲得し、それをどのように利用しているのかを検討する。

ここに、カブラルの産業組織論の現実的な姿勢がある。

 企業の「評判」は経済的な資産である

カブラルの重要な研究テーマの一つが、企業や売り手の「評判」である。

市場では、売り手と買い手が同じ情報を持っているとは限らない。

売り手は商品の本当の品質を知っていても、買い手は購入するまで分からないことがある。サービスが約束どおり提供されるかどうかも、事前には完全に確認できない。

このような情報格差がある市場では、評判が大きな役割を果たす。

過去に高品質な商品を提供してきた企業は、「この企業なら信用できる」という評価を得る。その信用が将来の売上につながるため、企業には品質を維持し、不正を避ける動機が生まれる。

評判は、目に見えないが、企業にとって重要な資産なのである。

カブラルは、インターネット上の取引市場において、評価制度が売り手と買い手の行動をどのように変えるのかについても研究してきた。

オンライン市場では、取引相手と直接会わないことが多い。だからこそ、過去の評価、口コミ、レビュー、取引実績が信用の代わりになる。

ただし、評価制度が存在すれば、すべての問題が解決するわけではない。

企業が評価を操作したり、短期的な利益のために築き上げた信用を使い切ったりする可能性もある。プラットフォーム側が、どの評価を表示し、どのような基準で順位を決めるかによって、市場の競争条件も変わる。

今日、Amazon、Google、Uber、Airbnbなどのサービスでは、評価や検索順位が企業や個人の収益を大きく左右する。

カブラルの評判研究は、デジタル経済の時代に、ますます重要性を増している。

イノベーションは企業ではなく「人」が生み出すのか

カブラルは、企業のイノベーションについても研究している。

新しい技術や製品は、企業という組織が生み出すのか。それとも、その企業に所属する発明者や研究者個人が生み出すのか。

この問いは、企業経営にとって極めて重要である。

企業が優れた研究開発制度や組織文化を持っているからイノベーションが生まれるのであれば、経営者は組織の仕組みを整える必要がある。

一方、特定の優秀な研究者や技術者が成果の中心であるならば、企業は人材の獲得と定着を重視しなければならない。

現実には、個人の能力と企業の組織力の両方が影響する。

優れた技術者がいても、企業が研究予算を与えず、失敗を許さず、短期的な利益だけを要求すれば、大きな発明は生まれにくい。

反対に、豊富な資金や設備があっても、挑戦する人材がいなければ、革新は起きない。

カブラルの研究は、イノベーションを単なる技術進歩としてではなく、企業間競争、人材移動、組織設計、知的財産などが複雑に絡み合う現象として捉えている。

 プラットフォーム企業をどう考えるか

現代の産業組織論で避けて通れないのが、プラットフォーム企業の存在である。

Google、Apple、Amazon、Meta、Microsoftなどは、単一の商品を販売するだけの企業ではない。

利用者、広告主、販売者、開発者など、異なる集団を一つの市場に集め、それぞれを結びつけることで価値を生み出している。

こうした市場では、利用者が多いこと自体が競争力になる。

多くの消費者が集まるプラットフォームには、多くの販売者が参加する。販売者が増えれば商品の選択肢が広がり、さらに消費者が集まる。

この循環が始まると、先行企業が圧倒的に有利になる。

しかし、その企業が市場を支配した後、手数料を引き上げたり、自社の商品を優遇したり、競争相手を排除したりする可能性もある。

ここで求められるのは、「大企業を分割すれば解決する」という単純な議論ではない。

プラットフォームが生み出す効率性や利便性を維持しながら、競争をどのように確保するのか。

新規参入を可能にするため、データの移転やサービス間の相互運用を求めるべきなのか。

自社の商品と他社の商品を同じ市場で扱う企業に、どのようなルールを課すべきなのか。

こうした問題を考えるためには、企業の戦略と市場構造を同時に理解する産業組織論の視点が必要になる。

 競争政策と経営戦略をつなぐ経済学

カブラルの研究には、二つの読み方がある。

一つは、政府や競争当局の立場から、市場をどのように規制すべきかを考える読み方である。

企業合併を認めるべきか。

市場支配的な企業の行為を規制すべきか。

価格設定や抱き合わせ販売は、効率的な経営戦略なのか、それとも競争相手を排除する行為なのか。

もう一つは、企業経営者の立場から、競争優位をどう築くかを考える読み方である。

自社の商品をどのように差別化するのか。

価格競争を避けながら顧客に選ばれるには何が必要なのか。

評判、ブランド、技術、顧客基盤をどのように長期的な資産に変えるのか。

どの市場に参入し、どの市場から撤退するのか。

カブラルの産業組織論は、公共政策と経営戦略をつなぐ位置にある。

企業がどのように利益を得るかを理解しなければ、適切な競争政策は作れない。

同時に、市場のルールや競争相手の反応を理解しなければ、企業も持続的な戦略を立てることはできない。

 ポルトガル経済学が持つ国際性

ポルトガルは、アメリカやイギリスと比べれば、経済学研究の規模が大きな国ではない。

それでも、世界の主要大学や国際機関で活躍する経済学者を継続的に輩出してきた。

その背景には、国内だけに閉じず、ヨーロッパとアメリカを行き来しながら研究を発展させる学問的な伝統がある。

カブラルもまた、ポルトガルで基礎を学び、スタンフォード大学で最先端の理論を修得し、ロンドン、ニューヨークなどの国際的な研究環境で活動してきた。

しかも彼が研究しているのは、特定の国だけに通用する問題ではない。

企業競争、独占、技術革新、評判、デジタルプラットフォームは、どの国の経済にも存在する普遍的なテーマである。

ポルトガル出身の研究者が、世界の企業経営と競争政策を考えるための共通言語を作った。

そこに、ルイス・カブラルの大きな功績がある。

 企業を見る目を変えた経済学者

私たちは企業を見るとき、売上高、利益、株価、従業員数といった数字に注目しがちである。

しかし、その企業の本当の強さは、数字だけでは分からない。

なぜ、その企業は高い価格でも顧客に選ばれるのか。

なぜ、競争相手は簡単に参入できないのか。

その企業のブランドや評判は、どのように作られたのか。

技術革新は、個人の才能によるものなのか、それとも組織の仕組みによるものなのか。

巨大な市場支配力は、効率性の結果なのか、それとも競争を排除した結果なのか。

こうした問いを持つことで、企業の姿はまったく違って見えてくる。

ルイス・カブラルが世界に示したのは、競争とは単なる値下げ合戦ではないということである。

競争とは、企業が価格、品質、技術、情報、評判、ブランド、ネットワークを使いながら、将来の市場をめぐって繰り広げる戦略的なゲームである。

そのゲームの仕組みを理解することは、経済学者だけに必要なのではない。

企業経営者、投資家、政策担当者、そして消費者にとっても不可欠である。

カブラルの産業組織論は、私たちに「企業がいくら稼いでいるか」だけではなく、「その利益がどのような競争構造から生まれているのか」を見るよう促している。

企業の数字の背後にある競争の力学を読み解く。

それこそが、ルイス・カブラルの経済学が現代社会に与えた、最も重要な視点なのである。

 ルイス・カブラル略歴

1961年、ポルトガル・リスボン生まれ。ポルトガル・カトリック大学で経済学を学び、ノヴァ・デ・リスボン大学で修士号を取得。1989年、スタンフォード大学で経済学博士号を取得した。

ノヴァ大学、ロンドン・ビジネス・スクールなどを経て、2000年からニューヨーク大学スターン経営大学院に所属。現在は同大学院のPaganelli-Bull Professor of Economics and International Businessを務める。

主な研究領域は、産業組織論、企業間競争、イノベーション、評判、デジタルプラットフォーム、競争政策、経営戦略。代表的な著書に『Introduction to Industrial Organization』がある。

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